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ume_boshiのブログ

人生の半ば、ふとした迷いから転職をしてしまった元看護師のぼやきです。

初心忘るべからず

退職して、もうすぐ17年が経ちます。

色んなことがありました、本当に色々な経験をさせていただきました。

あのまま病院にいたら、知ることは無かったであろうことも

沢山見知ることになりました。

知りたくなかったことも、経験したくなかったことも多かったけど

沢山の人と知り合うことが出来ました。

どの経験も、全てが今の私の糧になっていると思う。

 

「白衣の鎧」という言葉の意味もよく理解出来た気がします。

病院にいた頃、ずいぶんと偉そうだったんだろうな.......私は。

 

退職後16年余りやって来て、やっと去年位から安定した経営状態の年を

迎えることが出来ている気がする。

私の経営努力のせいなどでは決して無く

センターの皆さんのお心遣いと、世界的な原油価格下落のお陰で

黒字経営になっているのだと思う。

来期は、ちょっと税金の心配をしなければならないかも知れない。

そんな中、年末の自分を振り返ってみて

「また、ちょっと頭が高くなってませんか?」という状態に感じられた。

気をつけないとです。

あと10年がどの様なものになるかは判らないけれど

出来るだけ安定して、気苦労の無いものであって欲しいから

お客さんは大切にしていかないとね。

 

初心忘るべからず。

転がる石に苔むさず・・・と念じ続けて転がり続けてきたのだから

止まること無く、転がり続けていく気持ちを忘れないでいかなければ。

今年もあと2日足らず、気持ちを新たにしてまた転がり始めようと思

います。

 

 

取引先の人と忘年会でしたが・・・

色々と楽しく話をして時が過ぎました。

一人になってから、ふと

全てが美辞麗句、社交辞令なんだろうなと・・・

そんな事を思ったら、楽しくなくなってしまいました。

疑心暗鬼・・・人を心から信じられない、そんな自分が嫌だ。

しかし、相手は取引先なんだし、言う事全て本心であると考える方が変なのか。

自分で自分の性格が今ひとつ好きになれない。

誰かと密接に関わっていたいはずなのに、そう思う自分自身が相手に全てをさらけ出せない。

みんなそんなモノなんだろうか。

それとも、そんなこと感じるのは自分だけなんだろうか。

 

いつもいつも、無い物ねだりばかり。

自分自身がつかんだものさえ信じられない、そんな情けない自分がそこにいたりする。

相手に身を委ねるほどの信頼関係を望んでいる癖に、それが怖くて出来ない。

いつからこんなだったのか。

物心ついてからずっとか・・・

おそらく、もうこのままなんだろうな。

膝を抱えてうずくまっている情けない自分がいる。

いつも、いつも心はひとりぼっち。

今年もあと2週間

福井にも初雪が降りました。

根雪にはならず、年末まで降りそうに無い感じで

今年も初詣は凍えずにすみそうかな・・・なんて思います。

 

娘も、なんだかんだ言いながら国家試験に向けて一歩一歩頑張っている様子。

おちゃらけている様だけど、生真面目な方だから任せておいて良いと感じています。

お兄ちゃんも、仕事に頑張れているんだろうなと・・・。

余り息子の仕事に首突っ込む訳にも行かないし、心配は心配だけれど

もう28歳だし、任せておくしかないと思います。

20歳の時に、社会へ出る前に、もう少し父親として関わってやるべきだったなと

そんなことを思うけれど、下手くそな父親なので後悔してもしようが無い。

なんとか、息子が会社辞める前に止めることが出来たことで善としなければ。

小さい頃から、膝を折ってお前達と関わってこれなかった下手くそな父親だけど

これくらいが精一杯なのかも知れないから許して欲しい。

 

それでも、今は幸せだなと感じることが出来ていますよ。

無事という幸せをひしひしと感じています。

お寺の御前のいつもの話だったんだけれど、

「何事も無い」ということは、とても幸せなことでもあるのだと。

取り立てて良いことも無いけれど、特に気に病む悪いことも無いというのは

心が落ち着いた良い状態なのだと話していた。

そんなことを、ふと想う年齢になったのかなと苦笑いしているんだけど。

 

昨日、センターの看護部へ行ってきたけど、なかなか大変な状況みたいです。

落ち着いているけれど、全てがキチッとルーティンに沿って流れていくようにしないと

私がいた頃のように、出たとこ勝負の行き当たりばったりなんてのは通用しそうも無い。

なにか、真っ白な紙の上に書かれた一本の線のようで、

幹部の皆さんの穏やかな笑顔の中に、張り詰めた緊張感を感じてしまいました。

あの頃事故防止委員会と呼ばれていた会合で、ヒヤリハットなんというモノも取り入れられて

その色々な取り組みも、ひとつの形としてきちんとまとめられ、どのようなケースでどのように対応していくと言うことがきっちり決められているのを見て、なにかちょっと息が詰まる感じがした自分がいたりして・・・。

ここで、生きてこられたかなぁって・・・そんなこと意識したんだろうかな。

辞めて、ガス屋として大雑把な仕事をしてきた性なのか

看護師として緻密な仕事を積み上げていくという事が、とてつもなく怖いことに感じられる。

まぁ・・・ガス屋としても、失敗が許されないのは同じなんだけど

部下をまとめて、ひとつの病棟の上に立つという様なことが、自分には想像出来なかったんだろう。

徹がブチ切れることがあるらしいから、私なんか絶対に無理だな。

ガス屋しながらでも、辞めたはずのセンターに小判鮫みたいにくっついて

あと10年、波をよけながらなんとか生きていけたらなって思う。

 

人に説明するのが難しい様な変な人生になっちゃったけど・・・

それはそれで楽しい人生なのかも知れないし

「看護師続けていれば良かったモノを」って、そんな声も何処かに聞こえそうだけど

どちらに進んでも、しんどかったと思うから。

せめて、センターの皆さんからは悪い印象を受けずにここまで来れてるし。

このままあと10年走りきることが出来れば、

「看護師辞めたけど、上手くやりきったみたいだな」と言ってもらえそうです。

別に誰かから評価されたい訳じゃ無いけれど、

ダメだったね。とは言われたくないだけのことか。

看護師続けてるみんなへの、負けん気みたいなモノなのかも知れない。

あと10年は身体を大切にして健康でいないとね。

さて、初詣までもう一踏ん張りです。

 

 

子守唄・・・

幼い頃、祖母の背に負われて耳にしていた子守唄。

祖母が勝手に創っていたものかと思っていたんだけれど

生まれ育った田舎の辺りで唄われていた子守唄らしい。

もっとも、私が憶えていた歌詞とは少しだけ違う気がするけれど

なにせ、遠い昔の多くだから。

 

ねんねんや、おころりや

ねんねの寝た間にまま炊いて、赤い茶碗にととよそて....

 

その辺りまでしか憶えていない。

 

.................これが元歌らしい.................

ねんねんや おべどこじゃ
ねんねの寝たまに まま吹いて
赤い茶碗に ままよそて
白いお皿に ととよそて
ねんねが起きたら 食わしょかな

''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''' 

 

本当にやさしい祖母だった。

飯粒の中の仏様の話とか、人が死ぬとミミズから何度も生まれ変わって

ようやく人間に生まれてこれたのだから、命を大切にしなければならないとか・・・

何度も何度も、それこそ耳にたこができる位に聞かされた。

私は身体が弱かったから、よく風邪をひいて熱を出した。

そうすると、リンゴを摺り下ろして食べさせてくれた。

また、それも食べられない時は絞って飲ませてくれた。

当時は、ポカリスエットアクエリアスなんて無かったから。

本当に身体が弱かった私に、いつも寄り添って面倒を見ていてくれた気がする。

祖母がいなかったら、私は大人になるまで生きていられなかったかも知れないと思う。

小学校低学年の頃は、出席日数が危うくなる位に入院ばかりしていたし

そのせいか勉強も、ちゃんとついていけてなかったし。

それなのに良く看護師なんぞになれたものだと思う・・・あれは時代が良かったのかな。

「男の看護婦さん?なにそれ?」って良く聞かれたっけな。

全てがゆっくり進んでいた時代だったと思う。

 

ふと思う、「あんなやせっぽちで病気がちだった自分が

良くここまでやってこれたものだと・・・。」

 

婆ちゃん、ありがとうね。

「遺影の写真撮って欲しい」って何度も言ってたけど

良い写真あったじゃない、良い笑顔ですよ。

そんな写真、撮りたくないって言っちゃったっけか・・・ごめんね。

 

ふとした空想・・・妄想じみてるかな

何処かで聞いたか読んだかした話だけれど、

人の寿命をあらわした蝋燭があって、何処かの暗い洞窟の様な所に

無数の蝋燭が並んでいるらしい。

元気に燃えさかる炎もあれば、今にも消えそうにゆらぐ火もある。

長い蝋燭も短い蝋燭もあり、時にそれらの中に折れて灯火の消えた蝋燭もあるそうな。

私の知る話では、その洞窟に案内されて説明を聞いた男が

自分の蝋燭が消えかけているのを知って、近くにあった良く燃えている長い蝋燭と

自分の消えかけている蝋燭を交換したところ、その蝋燭は自分の子の蝋燭で

現実に戻った時、我が子が死んでいたという・・・取り返しのつかない話。

 

命の話では無いけれど、もしも生きていく気力というものがあって

もしも、それを人に伝播したり、または他人から吸い取るというか奪い取ることが出来たとしたらどうだろう。

運の良い人悪い人という概念が存在するようだが、それらのことも

このような事象に影響されているのかも知れないし。

人が無意識に、そんなことをやっているだとしたらと・・・ふと思ってしまった。

なにを馬鹿なことを、と自分でも思うけれど。

というのも、Mさんという存在を亡くしてから、どうにも色々なことが楽しくないのである。

若い頃から公私ともに世話になってきたからかも知れないが、色々なことが

あの人を軸にして回ってきた気がする。

その性なのか、まるで自分が糸の切れた凧のような感じで、何をしていても

定まらないというのか、充実感がない。

ある程度の所まで来ていたと思うのに、またつかみ所の無い焦燥感を感じることがある。

もう自分の人生、今から焦ってみたところでなにがどうなる訳で無し

ある程度決まったようなモノで、ここまで良くやって来たと考えるべきなんだけれど

Mさんのことが大きな穴になって、軸の定まらない様な不安定さを感じてしまう。

私は、Mさんから生きる力を受け取っていたのかもしれない。

ひょっとしたら、奪い取ってしまっていたのではないのか・・・・。

 

そんなことを思うほど、最近は会ってもいなかったんだけどね。

今年は色んなことがあって、自身が少しよれているのかも知れない。

・・・自分の元気が出ないのをMさんの性にしちゃいけないですね。

申し訳ない。

でもね、今でも家の前へ行くと

「うめちゃん、わしな・・・」って声が聞こえてきそうな気がするんです。

病院にいる間、貴方のお陰で楽しかったんですよ。

本当に、貴方に「頑張れ」と言われるだけで無敵になれましたから。

Mさんと良い先輩や同僚にも恵まれて、本当に無敵な状態で突き進んでいました。

馬鹿は馬鹿なりに、褒められることで調子に乗っていけたんでしょうか。

そんな私でしたから、ちょっと壁に当たった時、簡単に人生の舵を切ってしまったのかも知れないです。

そう言えば、貴方に相談すらせずに退職を決めてしまったのでした。

本当に馬鹿でしたね。

私は、貴方ほど頭が切れなかった・・・

人間関係において、貴方ほど周到に動くことが出来ませんでした。

それは、貴方がいてくれたお陰で、なにも考えずに動いても上手くいったから。

全ては、貴方が後ろについていてくれたから出来たことでした。

 

もう、何処にもいないのですね。

これからは、自分でしっかり立って歩いて行かないと

もう、いい年なのですし、いつまでもそんなこと言っていられませんから。

寂しい気持ちと悲しい気持ちは、心の隅に畳んで仕舞わなければなりません。

生きていく力を吸い取れるモノなら、誰かから吸い取りたい気分ですけど

それが我が子のやる気だったりしたら大変ですから、自分が頑張るしかないですね。

お馬鹿な空想してないで、明日からまた一つ一つ仕事を片付けていくことで

自分なりのけじめの日に、一歩一歩近づいていかなければなりません。

仕事辞めちゃったら、そんなに寂しいのかな。

嫁さんより長生きしないようにしないと、独りぼっちには耐えられそうにないからね。

また、いつか何処かで会えたらと思います、Mさん。

早めの冬到来・・・なのかも

今年は、かなり早い冬の到来の様子。

明日は関東で雪になるらしいから。

福井はまだ降らないみたいだけれど、月末のタイヤ交換で問題ないかな・・・。

子供達の車は、朝早めに起きて換えれば、急に降ったとしてもなんとかなるか。

 

また、今年もそんな時期が来ました・・・Mさん。

寒いとか暑いとか、向こう側では関係ないことなんでしょうね。

DVDの映画とか、持って行ってあげれば良かった。

思ってはいたんだけど・・・どうしても家に入れませんでした。

もうちょっと、待っててくれなかったかなと・・・。

そんな我が儘を思ってもみましたけど、10年は長すぎましたね。

 

楽しかったな・・・学生で3年、就職してから14年。

本当に公私ともに良くしてもらった。

あの頃は良かったな・・・そんなことを言う様になったら年なんだというけど

もう良い年なんだろうな。

辞めてから16年、私は良い面構えになれたんだろうか。

大きな船を下りて、手こぎ船同然の小会社で、

大波をかぶりながら、なんとかかんとかやって来た感じだが。

振り返ると色々あったっけな・・・。

そう言える今は幸せな状態だと思う。

 

看護師していた頃も楽しかった。

私みたいなのでも、なんとか良い成績を収めて卒業することが出来た。

子供達が苦労をしている様子を見ると、看護師資格の取得は相当に

難しくなっているんだなと感じる。

私が今から看護師になることは、到底無理だろうなと思う・・・当たり前か。

あの頃で良かったな。

就職してからも、看護研究の全国大会に2回、オペ室に異動して4年。

看護研修も、ほぼ毎年行かせてもらってたっけ。

年に2回行ったこともあったな。

部活のソフトボールでも、下手くそな私でも出してもらえて

優勝とか経験出来たし・・・。

そんなソフト部の運営も、何故か突然停止して

センターも大きくなって、これから色々と難しくなっていくんだろうなという頃に

「昇任試験を受けろ」と言われて、合否発表の1週間前に事務長の家へ行ったのかな。

雨の降る寒い夜だったな、「辞めることにした」と告げたら、事務長驚いてたな。

ちょうど、今頃の時期だった様に思う。

あのまま師長になっていたらどうだったんだろうって、何度も考えたけど

きっとダメだっただろうな。

あの頃は、今よりもっとダメな私だったから下をまとめていけるはずが無い。

今の生き方が、一番自分に取って無難だったんだろうなって、今頃になってそう思う。

辞めてからは、決して楽な16年間では無かったけど。

どっちが良くてどちらが悪いなんて比較が出来はしないのは十分承知のこと。

人生にタラレバは無いのだし。

 

今の状態で良かったんだよね。

この冬を乗り切れば、子供達は3人とも社会人。

もう若くないから、この身体を大事に使ってあと10年無事にやっていかないと。

だんだん、無理が利かなくなっている気がする。

ぼちぼち・・・行くしか無い。

看護師として残った連中も、これから先10年は大変な立場だろうし。

10年経って65歳になったら、そしたら皆で温泉へ行きたいんだ。

それまで、もう一踏ん張り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ寒くなってきました

暑い暑いとこぼしていたら、急に寒くなって灯油の価格が気になる時期になりました。

年なのかな、あちこち痛むなと感じる今日この頃です。

一緒に働いていた仲間達も、あと10年したら皆退職しているのかも知れない。

その時が楽しみなような、寂しいような。

したいことは沢山あるけれど、一気にそれらを実行してしまうと

逆に目標を無くして寂しさが訪れるのだろうか。

でも、色々なことをやりたいと思う気力と体力が伴ううちに行動しなければ

身体が言うことを聞かないのか、引き籠もりがちになってしまうようだ。

ちょうど、現在の私の父親のように。

口先だけは百人前だが、最近では車の運転もままならないのか

ひょっとして失見当識があるのかと思わせるようなところもあるし。

あれだけどこへも行かずにテレビの前でじっとしていれば、自ら呆けようとしているのか?と

思ってしまうような状態だから、逆に呆けないのが不思議なくらいなんだが。

船乗りをしていた頃の思い出の場所であろう、呉や佐世保の港へ旅してみても

良さそうな気がするのに、全く行こうとする様子が無い。

まさか、私達が旅の手配をするのが当然だと思っているのでは無いだろうが。

生活費を負担しろなどとは言わないから、その辺りは自分で自由にやって頂きたいと思う。

何につけても、実際は仲の悪い私の両親のことだから、父は母と何処かへ行けというと

激しく拒否するだけのことで、息子としては「なんとも情けない自分の親だ」と

悲しくなるので、ここ数年来、そんな話をすることも止めてしまっているのだけど。

頑固で無口で出不精な父親とは対照的に、四六時中出歩いてばかり居て

一日中壊れたテープレコーダーのように喋り続けている母親がいる。

おそらく、父親の方が先に呆けるか逝くのだとと思うが

後に、あの自己中心的で無責任で唯我独尊的思考の母親が残るのかと思うと

先行きが思いやられる気がする。

祖母は78歳で逝ったと記憶しているが、あの婆さんは母親の年を越えてしまった云々と

言いながら、いつまでもいつまでも生きていそうな気がする。

もう直、82歳になるのだが、元気なもので、毎日今日は東へ明日は西へと

お忙しい毎日を送っている。

時折、私より長きするのでは無いのかという想いが過ぎることすらある。

実際、私達姉弟の面倒は、祖母が殆ど見ていたようなものだったし

かといって、私の子供の面倒などは見ようともしなかった私の母親である。

結局、あの婆さんは小さい子供の面倒を見れない女だったのかなと考えている。

その癖、自分のことを様付けで「親様に向かって」などと言うことを平気で口にする

厚顔無恥ぶりで呆れるのである。

こういう人間は、周囲に気を使わないから長生きするらしい。

最後に面倒を見てもらうのは、私の嫁に頼むしか無いので申し訳ない気持ちになる。

私のつたない知識で考えても、おそらく私の両親は共に人格障害者であると考えられるので、最後は問題を起こさずに逝ってくれるかどうか不安である。

不遇な幼少期をおくったのであるということを、70歳くらいまで愚痴っていた人達だから。

もう、そんなことを言う年齢でも無いだろうにと、つくづく情けない想いで聞いていたが。

 

人は人として生まれて、どのような人生を生きてどのようにして死んでいくのか

各々が、自分なりに納得のいく人生を送れるように精一杯努力していれば

その結果がどうであろうが、満足して終わるべきだと思っている。

齢80を過ぎるようになって、まだ愚痴や不平不満だらけの我が親を見ていると

年寄りは、子供達や孫達のために陰から支えになっていれば良いものであり

いつまでも表にしゃしゃり出ようとする姿が、如何に醜いものであるかを

反面教師として教えられている気がする。

私は、あぁはなりたくない。

人生を遡ることが出来るなら、私が看護師を辞めず会社を継がず

家を出て県外ででも独立していれば、このような思いをせずに済んでいたのかも知れないと思うこともあるが

その場合は、長男なのに親の面倒を見ないとか言うのだろうし

その後にあったいくつかの出来事のせいで、父の家屋敷や会社は無くなっていた可能性もあるし

そうなれば、結局、破産するなりして私の所へ転がり込んできて今より悪い結果になっているかも知れないな、とも推測したりしている。

どちらへ転がっても、余り自由の無かった感じの私の人生だったけれど

それはそれなりに、運にも恵まれてここまではなんとか形になっている気がする。

私の代としてあと10年家の屋台骨を支えていければ、後は心配してもしょうの無い話で

その時どうなっていようとも、会社を閉じて老後の生活に入ることにする。

バルクタンクの入れ替えや、その後の業界を取り巻く情勢には、

もう対応していける柔軟性は無いと考えるから。

パワーバランスが崩れて卸会社に潰されるくらいなら、その前に身を引くことが是であると考えているから。

私が勤めていた場合の退職金くらいは残せるだろうし。

その時、私の両親は90過ぎか・・・

文句しか言わないだろうし、それまでにおとなしく逝ってくれていた方が

問題も少なくて済むと思う。

親父がいなくなれば、長男も結婚出来るような気がするんだよ。

なぁ婆ちゃん。