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ume_boshiのブログ

人生の半ば、ふとした迷いから転職をしてしまった元看護師のぼやきです。

諸行無常というものですか

Mさん、初めてのお盆が来ました。

奥さんのお店に皆がたむろしていた頃が懐かしい・・・

色んな事でお世話になりすぎて、一つ一つ思い出すのが辛い。

奥さんにも色々ご迷惑掛けていました。

うちの親父まで、店に押しかけて愚痴をこぼしていたことがあったっけ。

 

うちは、全くの馬鹿親子で・・・

自分の父親が死んだときに、あれだけ泣けるだろうかと。

おそらく、私は両親の葬儀の時に涙が出ないのでは無いのかと思う。

でもMさん、貴方の死は、私にはとても堪えるモノでした。

涙云々では諮れないほどの大きな穴が、心に空いたみたいで。

大きすぎて、まだ判らないのかも知れないほどの。

 

今頃になって思いました。

人が死ぬということは、こんなにもあっけないことなのかと。

今まで葬儀には何度も出てきたつもりだったし

人の死には、一般の人達より立ち会ってきたはずだったのに

これほど堪えたというのか、なんとも言えない気持ちになったのは

初めてです。

1日の日中には、元気でいたんだよね。

気持ちはしんどかったんだろうけど、少なくとも死ぬような身体では無かったはず。

看護師が周りにこれだけいて、止めることが出来なかったというか

そばに行くことすら出来ない状態になっていたということが悲しいです。

自分自身情けなかった。

私は、自分のことしか考えていなかったのでしょう。

Mさん、向こう側へ行って楽になれたのでしょうか。

麻雀メンバーと楽しくやっているのでしょうか。

そもそも、向こう側なんてあるのですか。

骨壺に入ったMさんを見ても、実感は湧かないのです。

死んだ後も、寝てるみたいな顔していたんだし。

 

そう言えば、

「うめちゃん、酒飲みに連れてってくれや」

「ばあさんの店でも良いから」って・・・言ってたんだよね。

繁華街を挟んで、家が反対方向だから送っていけないよって・・・

そんな言い訳して断ってたんだ。

「そうか...」って言ったMさん、電話でも判るくらいに残念そうだった・・・

いくらでも連れてってあげられたんだけど、

酒だっていくらでも飲ませてあげられた、

ちゃんと楽しく飲ませてあげられれば、普段はお酒我慢出来たのかも知れないね。

気がつかなかったんだよ・・・今、そうだったかも知れないって思ったんだ。

そういえば、一昨年温泉行った後、しばらく飲まなかったんだよね。

毎年連れてってあげれば良かったのかも知れないですね。

そんな大したことでも無かったのに。

いくらでも、嫁さんに送ってもらえたんだけど、

貴方にお酒飲ませたらいけないって、そんなことばかり考えてしまって。

そんな、コップ1杯も飲めなくなってたなんて知らなかったんです。

楽しいこと、つくってあげないといけなかったんでしょうね。

いつか、長崎へ一緒に行きたかったな。

貴方の明るい顔が、私は大好きでした。

「うめ、心配するな。任せておけ」って、いつも笑っていました。

一度も叱られたことも無ければ、だめだと言われたことも無かった。

私が、結構な無理難題を言い出しても、いつもGOサインを出してくれました。

そのせいか、周りでは私に対して僻む向きもあったようだけれど。

みんなが、8人で2班に分かれてスキーに行きたいといったときも

わしが代わりに頑張って働いてやるからいってこいと・・・

その代わり帰ってきたら頑張って働けよと、そう言って送り出してくれました。

1つの病棟で、一時的にせよ8人が旅行に行くというのは

普通の上司であれば、絶対だめだと言いますね。

私がMさんだったら、難しい顔してしまっていたでしょう。

 

お酒飲んで身体悪くして、勤めていた病院に入院して皆に見送られて逝った方が

貴方にとっては幸せだったんだろうか。

今の私には、まだ判りません。

私がお酒飲ませたせいで、別の問題が起きるようだといけないからと

そんな心配ばかりしていて。

身体を悪くして、入院ということになればそれはそれで良かったのかも知れないけど

警察沙汰とか、飲酒事故とかとなったら、取り返しがつかないことだし。

どうしたら、一番良かったんでしょう。

 

今はただ、申し訳なかったという思いが残っただけ......

Mさん、初盆になりました。

 

お盆休みに突入かな。

今日は、神奈川から姉と甥っ子が帰ってきた。

電車が15時頃駅に着くから

午前中だけ、少し仕事するつもりだったんだけれど

急に工事が入ったりしたから、なんだかんだで14時頃まで動き回ってた。

忙しいと、気持ちが紛れます、余計なことを考えずに頑張れるから。

身体的には少ししんどいけど、気持ちが落ち着かないときは

工事とかで一つのこと考えていられると、余計なことを忘れられて良いかな。

 

余りに暑かったので、気がついたら500mlのペットボトルを6本も買っていた。

水ぶくれだな(>_<)

 

13日から盆休みかぁと思っていたら、去年も13日から休んでいたような気がする。

お盆が、仕事の折り返し点みたいな感じに思える。

ガスの使用量も少なくなって、一番暇な時期というのもあるけれど

お盆すぎから決算に向けての色々な準備も始まるし。

 

考えてみたら、ここまでは、そこそこ上手く人生を組み立ててこれた気がする。

上手く歩いてこれたと言うべきか。

もちろん、私だけの力でなどあるはずも無く、嫁さんとか子供達とか

私に関わってくれた多くの人達のお陰であることは他ならない。

 

趣味か・・・

嫁さんがそばにいてくれることが、一番なんだろうね。

一人でなんかしても楽しくないし。

一人旅なんて、出来ないだろうな。

若い頃に一度だけ秋田まで行ったことがあるけれど、一人で往復は

なんとも言えない感じだったから。

基本的に寂しがりなんだろうね。

研修とか、いつも嫁さんが全部用意してくれていたし

家族旅行も、準備は全部嫁さん任せだったし。

キャンプとかの大物の積み込みというか用意は、自分でしたけど。

 

いろいろ「なんで?」と思ってしまったけど

自分自身がMさんのような心理状態に入り込まないように

今から、あれこれ考えていかないといけないんだろうかね。

もし嫁さんが先にいなくなったら、私も判らないかも知れない。

 

Iさんとか・・・とかって・・・他にいないのか。

Iさんとは、リタイヤしてからもつきあいを続けていたいけど

彼は副部長職だから65歳でリタイヤ出来るかどうか、微妙だろうな。

ガスの同業者なんて、会社を閉じたらもう余りつきあいをしたくはない気がするし。

私も、よく考えてみれば余り交流の広い人間では無いのかな。

リタイヤしてからも、アルバイトで病院の夜勤くらいはしていないと

呆けてしまうんだろうか。

ガス屋としてのアルバイトはしんどいからしたくないな(>_<)

来年の話をすると鬼が笑うというのに、10年先の心配をしている自分がいる。

鬼も呆れてしまうだろうか。

会社を閉じるって、色々大変なんだろうな。

 

 

今日は山の日らしい

けど・・・一日、家から一歩も出ずに、PCのHDDデータレスキューしていた。

なんとかなった模様。

ほとんどエロ動画なんですけどね(^_^;

それも、見もしないで溜めてるだけの。

3TBをシングルパーティションで使ってて大丈夫なのかな。

 

ふと、また思い出してたんだけど、私が退職したのが2000年の春で

Mさんが辞めたのが、3年ほど後だったのかな。

精神病院が2003年に移転しているから、それより前だったんだと思う。

退職してからしばらくして、加賀のサナトリウムにしばらく勤めたり

近所のKB外科で夜勤のアルバイトしたりしてたんだよね。

お金の為もあったのかも知れないけれど、一人で寂しかったんだろうね。

あの頃は、あれこれ勤務中のことを話してくれたっけか。

色々、仕事に関して不満はあったみたいだったけれど・・・。

楽しくは無かったのかな。

そりゃ、あれだけMさんMさん言われて、センターの中心にいた状態から

新参のアルバイトみたいな立場になってしまうと、楽しくは無いだろうね。

でも、そんなに趣味の無い人だったのかな。

いつも皆に囲まれて、皆のために動いてた人だったから

お酒飲んだり、皆で一緒にいるのが趣味みたいなもんだったのかな。

大型のバイク買ったりして、あちこち走りに行ったって話は

まだ勤めてた頃のことだったのだろうか。

あんなに知り合いや友達が沢山いると思ってた人だったのに、

毎日、ワイワイとお祭りみたいになってないと寂しかったのかな。

そんなこと無いよね、ドラ息子の残した借金を10数年かかって

やっと完済するところだったんだし・・・。

あれだけ頑張って明るい道を歩いてきたのに、急に報われない生活になって

どこにもぶつけようが無い気持ちだったんだろうね。

それで、酔うとあちこち電話してくだまいてしまったんだろうし・・・。

それで、余計に寂しい状況をつくってしまっていた。

知らなかったけれど、公立病院や警察にもかなり迷惑を掛けてしまっていたらしい。

どうしてしまっていたのですかMさん。

老いによる寂しさは、誰にでも訪れることで、現役の連中に「つきあえ」と

言われても無理になることが多い。

リタイヤして第2の人生を送るというのは、そんなにしんどいことなのか。

 

もしも、嫁さんが先に逝ってしまったとしたら、確かに寂しいだろうな。

なにか呟いても、返事が返ってこないなんて嫌だよね。

リタイヤして、嫁さんとあちこち旅出来たらと思うけど・・・

それが出来たら、嫁さんより長生きしていたくは無いかな。

その為には、後10年、とりあえず頑張らないと........ね。

 

 

 

 

 

偲ぶ会をしようと・・・

私を入れて4人ほどで、偲ぶ会をしようかなと思う。

Kさんの提案なのだけれど、一昨年の9月にMさんと4人で行ったのを

憶えていて、そう言ってくれた。

一昨年と同じ旅館にしたら、Mさん出てきそうで怖いから

今度は別の旅館にしようと思う。

それまでに、思い出の写真とか焼き増ししないとですね。

涙流して思いで話しても、切りが無いんだろうけど

余りにあっけなく消えてしまったから、なにかしないと。

 

釣りしてきたんだとか、バイクで旅行してきたんだとか・・・

そんな羨ましいほどの引退生活が待っていたはずじゃ無かったのですか。

ずっと万年床で寝たまま酒飲んでテレビはつけっぱなしで・・・。

気持ちが鬱いでしまっていたのでしょうか。

九州へ一度帰ってみても良かったのかも知れないのに。

 

そんな話もこんな話も、あれこれしてみようと思うんだよ。

あの日のメンツに、貴方の代わりに息子さんを加えてね。

場所はどこでも良いんだ・・・

泊まれて食事が出てお風呂があれば。

D君を呼んだ方が良いのかどうか、まだ迷っているんだけど。

病院内の人達が偲ぶ会をしようと思えば、いつでも企画して出来るだろうから。

もし、私を呼んでくれたとしたら喜んで行くつもりだけれど

おそらく、Mさんのことは彼らの中ではもう終わっているんだと思うから

そんな話が出ることは無いんだろう。

 

Mさん、今頃、雲の上でなにしてるんでしょうか。

オリンピックくらい見ていけば良かったのに。

そんな誕生日にこだわらなくても。

来年の命日には、誕生日ケーキを持っていかないといけないじゃないですか。

へんな命日になってしまうよ。

息子さんは、墓を建てないみたいだし仏壇もどうなるやら。

墓たてて欲しいんだけどね、たまに会いに行きたいから。

でも、そこまでは、私には口出せないから。

ひょっとしたら、彼は改装したときに電化にするつもりなのかも知れないから

そしたら、Mさんの家に行くことは、もう無くなるんだろうね。

夜中に酔っ払い電話がかかってくることも無いんだね。

寂しいような、ホッとしたような。

複雑です。

あの家では、色んな事があったから。

楽しいことは沢山あったし、夜中に泣きながらMさんを叩き起こしたときもあったな。

迷惑を沢山掛けたよ。

なかなか暑い夏になりそうだ

週が明けて、心機一転頑張ろうと思ったけれど

なかなかの暑さが続いていて、一日中頑張る訳にも行かない。

気持ちはあっても、体力がというか年なんだろうか。

この身体、あと10年持つのかな。

ここまでの16年とは、ちょっと違ったしんどいものになるんだろうか。

 

そう言えば、この日記は下書き状態で保存しておくと

公開にした日の日付になってしまうようだ。

忘れずに、その日のうちに公開しないと、この前の日記のように

ぼやいた内容が、とんでもない順番で書き込まれてしまうことになる。

気をつけよう。

 

親父(Mさん)のことは、そうそう吹っ切れることでは無いようで

何かにつけて頭に浮かんでしまう。

映画のDVD、沢山あったのに持って行ってあげれば良かった。

思っていて、しなかったことが沢山ある。

お酒飲みにだって、いくらでも連れていってあげられたのに。

今年の会社の状況なら、温泉くらい連れて行ってあげられた。

ホントに、ひとりぼっちになっちゃってたんだろうね。

あんなに、皆に囲まれていた人だったのに・・・

 

周りに当たり散らしてばかりいたからだよ。

みんな怖がってしまっていたんだと思うし、貴方は親のような存在だったのですから

それに、皆、それなりの年齢になって家庭を持っているのです。

それも若くは無い、子供達が自立していくような年齢で・・・。

そんな元部下達に、酔っ払って真夜中まで電話しつづけたのですから。

 

ごめんね、もう、貴方自身でもどうしようも無くなっていたのでしょうね。

自分で自分の感情をコントロール出来なくなって......そんな行動取るような人では無かったのに

そうせずにいられなかったのでしょう。

どんな医師でも、脳器質性の精神疾患には対症療法しか無いですから...と言うだろうし。

身体の症状は軽くて済んだのに、精神がやられてしまったとは。

「人が心に思うことは、誰にも止められないから」

とある映画での、加藤登紀子さんのセリフですけども

自分自身でさえも、心に思うことは止めることが出来ないのは事実。

 

偲ぶ会をやろうと思うんです。

貴方を送り、自分自身の気持ちに区切りをつけるために。

病気が無かったら・・・

あの破天荒な息子さんの借金が無かったら・・・

貴方は今も笑顔で生きていてくれたのでしょうか。

 

最後に、離れを建てた借金は、あれは1年待てば良かったんだよ。

でも、今は息子さんも帰ってきたし、あれはあれで必要だったのかも知れない。

そう思うと、貴方は家族のために必要なことをして逝ったのでしょうか。

 

いくら私達でも、家族の中にまでは入れはしないと

そう感じた出来事もありましたっけ。

 

これからが、どうなっていくのか判りません。

私も年を取ってリタイヤしたら、貴方のように寂しくなってしまうのでしょうか。

奥さんが入院していたからなのかな。

私も、嫁さんがいてくれなかったら寂しいだろうね。

嫁さんより先に死にたいなって、そんなこと、たまに思うから。

Mさん、良かったら偲ぶ会に来ますか?

あちらが楽しいから来ないでしょうね。

こちらが嫌になって逝ったのだし。

思い出の写真、用意しないとです....

 

 

 

一息ついて良いのかな?

いつからだったろう・・・

20代の頃からずっと、

これでいいのか?・・・と何か満たされない想いがあって

何をしても達成感が満ち足りないというのか、不完全燃焼で

何か次のものを求めているような感じだった。

学生の頃、看護師になればそれは満たされるのかも?と期待した。

資格試験を受けて、合格発表があって・・・

新聞紙面に自分の名前があって「受かってたよおめでとう」と声をかけられても

昨日の自分と今日の自分で、何かが変わったわけでも無く

そうか、受かったんだな・・と思いながら、確かめもせず仕事をしていた。

全国大会の発表者として山形まで行って、発表を終えて帰ってきても

行く前の自分と戻ってきた自分との間で、何らの変化も感じられ無かった。

2年目でオペ室に異動になって、院内ではちょっと特殊な立場に置かれたらしいことは判った。

今まで男性看護師が配属されたことの無かったオペ室に、2名配属された片割れが私だった。

運の良いことに一番信頼していた先輩と一緒で、自分としてはとても楽しく

「なんだか判らないが、大きな渦に巻き込まれたような期待感と不安感」

で、ワクワクくしていたのを憶えている。

オペ室勤務で、少しだけ自分の中に変化があった気がしている。

最初は奇異な目で私達を見ていた医師達が、少しずつ期待をしてくれるようになっていて

時に、男性看護師であることを褒めてくれるようなこともあったりした。

自分にとって医師達は、とても頭のいい人達であり、私などとはレベルの違う人生を歩んできている人種だと思っていたので、

そんな人達から期待されるなどと言うことは思ってもみなかったことだった。

 

ひょっとして、私はそれまで周囲から褒められたり期待されたりした経験が少なかったのかもしれない。

我のない方だったし、我を発揮すると言うことはわがままになるようなことだと、姉を見ていて思っていたのだろう。

私の姉は、「我の塊」のような人物だったから。

少しでも思い通りにならないと、おかしな持論を展開してでも自分の意見を押し通そうとすることが何度もあったので、私は姉には深く関わらない方が良いと思いながら生きていた。

自分の都合が悪くなると、狂ったような反応を見せる性格は、今でもそんなに改善されていないと思うので、彼女が遠くにいることをありがたいと感じている。

そんなことはどうでも良いのだ・・・

 

オペ室にいて、期待されながら頑張っていれば良かったものを

私は、病棟への異動希望を出すということをしたために、オペ室で

昇進するだろうという周囲の期待を大きく裏切っていたらしい。

それでも、病棟で学生の指導担当になりしばらくすると上司から

昇任試験を受けるように言われた。確か36歳の時だったと思う。

また、この時に私は人生のハンドルを切り損ねているらしかった。

なんと、父の会社を継ぐという名目で退職願を提出したのだった。

今思えば、これが一番の失敗だったのだと思う。

 

父の思うつぼにはまっていったわけで・・・

それまで、何かというと「手伝ってくれ」と言ってきていた状態が

使ってやっているという態度に豹変したのには驚いた。

咳をしながら背中を丸めて、暑い日も雪の日も外で仕事をしている父親

これから先は、少し余生というものを楽しんでもらおうと思って

退職願を出したのではあるが、父の思いは違ったようで

自分の会社に自由に使える社員が出来た的な感覚だったらしい。

私自身、人生の大切な時期にさしかかっていながら、さして父親の会社の

経営状態を調べもせずに退職を決めたのは、かなり浅はかだったと今にして思う。

LPガス業界は、その時既に下向きに加速していたらしいのである。

お客さんは毎年何件かずつ消えていく状態で、それは電化だけでは無く

高齢化で施設に入ってしまったり、お亡くなりになったりして消えていったお客さんが多数いた。

それでもなんとか現在やっていけているのは、センターの理事長や事務長の気持ちで、ガス納入をさせてもらえているお陰に他ならない。

我を張って偉そうにしていた父も、今年齢80になり、少しだけ弱ってきたらしい。

馬鹿な意地を張らずに、少しでも生まれてきた意味を感じて人生を楽しめば良いと思うのだけれど、暗い部屋の中でテレビのリモコンを握りしめて毎日を過ごしている。

ガス屋になってからのことは、細かくは書かずに端折ってしまったが

それなりに書きたくも無いようなことが沢山あった。

お陰で、人間的には少しだけ賢くなれた気はしている。

病院にいれば、そんな思いをせずに生きてこれたのだろうに、馬鹿な自分だとはつくづく思うが。

どちらが良かったのかは、死んでもわかりはしないだろう。

でも、ここへ来て、あれだけ焦り続けて、何をしても不完全燃焼のようになっていた自分が、「こんなもんかな」と、ポンッと坂道を抜けたようなと言うか、負荷が無くなったような気持ちになっている。

どうしたというのだろうね。

まだ死ぬと言うことでも無いとは思うのだけれど。

お世話になりました。

Mさん、今日、花を供えに行ったら小さな骨入れに収まってました。

安楽に眠れていますか。

そんなに死にたかったのですか。

どんな気持ちだったのか、私には判ってあげられなかったけど

「辛くて辛くて、死んだら楽になるって、それしか考えられなくなる」って

そう話していましたね。

デパス飲んでもだめだったんですか。

薬と一緒にお酒飲むから変なことになるんですよ。

貴方は、私達の上司だったのに

無鉄砲なことまでして、私達のために動いてくれたけれど

自分のことはダメダメな人でした。

最後は、コップ半分も飲んでいないのに酔ってしまっていたとか。

ボトル1本空けて笑っていた人だったのに。

 

山ほどの武勇伝だけ残して逝ってしまったんですね。

今度は、私が寂しい思いをする番なのかな・・・。

 

初めて、人前であれだけの涙を流しました。

泣いていた訳ではないけれど、涙が止まらなかった。

馬鹿ですね、一言声をかけていれば・・・

あの日、ちょっと寄って話をしていたら・・・

 

今日は、もう蜉蝣はいませんでした。

もうすぐお盆だけど・・・

 

いつまでもうしろ向いていてもしょうが無いので

また、前を向いて歩き出したいと思います。

佐世保のMさんのご実家へ、いつか行ってみようと思うんです。

まだちょっと先の事になると思うけれど。

 

出来ん坊主の迷惑かけてばかりの部下で。申し訳ありませんでした。

Mさん、雲の上から見守っていて下さい。

私も寂しいのは嫌いです。