ume_boshiの          ブログ

人生の半ば、ふとした迷いから転職をしてしまった元看護師のぼやきです。

涼しくなってきました

あれほど暑かったのに、やっぱり秋が来たようで涼しくなってきました。

なんだかね、まだ時間が止まったままみたいで....

やっぱり、嘘みたいな話なんで、ひょっこり顔を見せてくれそうな気もして

でも、月に一回検針でお家に行くといないんですね。

小さい壺に入って写真が笑っているだけのMさんで。

「うめ、わしな・・・・」って、声が聞こえてきそうなんですけど

もう、話は聞けないんですね。

お酒飲ませてあげたかったけれど、酔うと家の中で色々と問題を起こすみたいで

そんな話を聞くと飲ませてあげられなかったんです。

私達の上司だったのにね。

どうして、お酒に負けてしまうようになってしまったんですか。

あんなにお酒に強かった人なのに。

なにしてんですかね。

人生の運を使い果たしてしまったみたいな・・・そんな逝き方で。

まだまだ、楽しいこと沢山あったんだろうに。

芦原くらい、連れて行ってあげるべきだったのでしょうか。

片町で一緒に飲んでも帰りが正反対の方向では、送ってもいけなかった。

いくらなんでも、元上司にタクシー代渡すというのは失礼だと思いました。

あの時、「帰りくらい自分で帰るわい」と言ってくれたら

飲み代くらいはいくらでも持ちましたけど、それも余りに失礼な話かも知れなかった。

お金の問題じゃ無くて、寂しかっただけなんですよね、きっと。

でも、やっぱりお金の問題もあったんだろうかな。

息子さんや奥さんがつくってしまった借金が、かなりあったらしいから。

 

親って、男って馬鹿ですね。

最近、自分でも時々思いますけど、最後に残された宝物はお金では無くて

家族や友達なんだろうなと思います。

貴方は、家族という足場を失っていたみたいだったから

友達という足場が崩れた時に、自分を保てなかったのかも知れませんね。

顔が広くて、人付き合いも多くて、私なんか居なくてもと・・・

私もそう思っていました。

私みたいな奴が最後の足場だったわけでは無いでしょうに。

IさんもKさんも、最近は貴方からの電話に出なかったみたいだったから。

みんな貴方と話してあげたかった。

みんな、貴方に好きなだけお酒を飲ませてあげたかったんです。

ただ、みんな看護師だったのですよ。

貴方の身体や、ご家族に迷惑がかかることを考えてしまっていたんです。

それでなくても、息子さんのお嫁さんは大変だったみたいでしたし。

まるで子供みたいな話だけど・・・

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10月1日は、あっという間に過ぎ去っていった感じで。

とても楽しかった。

港のホテルは、とても眺めの良い立地で気持ちの良いホテルでした。

 

Iさんとは長いことぶりにお酒飲んで、色んな話をした。

他愛も無い話だったけれど無性に楽しかった。

Mさんの話もあれこれしたけれど、話せば話すほど

お世話になった話ばかりで、出来なかったことの自責の念で涙が出てしまった。

とりとめの無い話ばかりしていて、なにひとつこれと言った記憶に残る話は無かったけれど、ただただ楽しい時間でした。

子供みたいなんだけど、前の日に上手く寝られなくて。

遠足の前日の子供みたいで............

肝心の土曜の夜は、とてもとても眠かったのです。

それでも、3時過ぎまで話していたのかな。

 

センター内は色々大変な様で「やっぱり私は残らなくて良かったのかな」と思えたりして

でも「Iさんと仕事を続けたかったな」という気持ちもあって・・・

あの人とは馬が合うというのか話が合うというのか。

あと10年頑張ったら、一緒に旅行に行こうやと約束までしてしまった。

「師長」って呼ばれたかった気もして.....

人の上に立てるような器でもない私なのにね。

 

あと10年、見事走りきれるだろうか。

ここまで16年は、なんとかかんとか走り続けられたけど

ここから先は、看護師をしていた期間より長くなります。

 

もうMさんはいない。

親父~と呼びながらあの家へ行くことも、もう無い。

こんなことなら、何度でも芦原へ連れて行ってあげられたのにね。

そんなこと、今更何度言っても詮無いことなんだけど。

ここから先は、本当の意味で一人でなんとか歩いて行くことにします。

10年経って会社閉じたら、Iさんと一緒に親父が自慢していた長崎へ

親父の実家を尋ねてみたいと思います。

出来たら、九州を南へ下って鹿児島の知覧記念館へ行ってみたい。

そんな遠い目標を立てて、一歩目を踏み出してみることにします。

 

Mさん、厚かましいお願いだとは思いますが

雲の上から見ていて頂けますか。

よろしくお願いします。

お気に入りとか友達とか・・・

たまに、お知らせが来ます。

「お気に入りに設定されました」みたいな。

何処で見れば良いのでしょう。

また、どうやって、他の方のブログへ行けば良いのでしょう。

ネット上では、比較的自由に動けるのだけれど

Hatenaの中は、どうにもわかりにくい気がする。(ここもネット上だけど(>_<))

どなたか奇特な方から、コメント頂けると嬉しいです。

 

 

 

あ・・・来週は10/1か・・・なんだか楽しみだな。

Mさんの写真、もう少し探さないとです。

 

 

台風14号が来ているようですが・・・・

明日はMさんの四十九日法要がある。

近親者で執り行うものなので、私は、今日、お仏壇に手を合わせてきた。

検針も済ませてきたが、もうひと月半過ぎてしまったんだなと感じた。

すごく若い遺影写真で、笑ってましたね。

なにしてんですか・・・またお酒飲みに行けたのに

そんなにしんどかったのですか、あなたほどの人が。

10月1日がなんだか待ち遠しい気もします。

遺影の前にオールド置いてきましたけど、好きなお酒でしたよね。

息子さんに、1日はそれ持ってきてくれと言ってあるので

一緒についてくるのでしょうか。

おやっさん、前に芦原行ってから2年じゃ無いですか。

また、芦原行かんかって言ってくれれば良かったのに・・・

でも、あのときに「これで最後だろうなって」そんなこと考えてたのも事実なんで。

寂しがりの親父の写真、焼き増しって言うかコピーしないと。

Iさんも、みんな写ってる写真欲しがってたから。

 

出来たら、毎年、Mさん会出来たらって思うんだよ。

今になってそんなこと思うくらいなら、毎年、おやっさん連れてってたら

こんなことにならずに済んだろうにね。

病院で21歳から37歳まで16年間、おかげで楽しい思い出ばかりです。

なんでもかんでも、思い通りに動かしてもらえましたから・・・

みんなMさんが後押ししてくれたおかげでしたね。

給料なんか、8万円も一気に上がったことがあったし。

いつも「俺はいいから」って、あの時Mさん

「俺は3千円しか上がってないんだぞ」って言ってたっけね。

なんでもかんでも、皆のために、病棟のためにが先で

自分は後回しで・・・だから、息子さんも寂しかったんだろうね。

 

楽しい引退生活を送って欲しかったな。

辞めたあとのMさんは、しんどいことばっかりだったみたいで。

「○○、迷惑かけてごめんな。もう少し待ってくれな」って・・・

金のことなんか、そんな心配しなくて良かったんだよ。

ガス代くらい払えなくたって、Mさんの分なら問題なかったんだよ。

律儀に最後まで払ってくれて・・・楽になっちゃったのかな。

借金、もう少しで無くなるんだって・・・

殆ど、息子のためにした借金だったのにね。

退職金も年金もなにもかもつぎこんで、借金返して

毎月20万以上年金もらえてたはずなのに・・・

楽しいことなんて、なんにも無しで逝っちゃったんでないのかい。

 

あれもこれも想うけど・・・

後悔先に立たずとは、まさにこのことで、情けない想いばかり。

 

 

 

 

 

 

もうすぐ8月が終わります。

8月は、色々あったせいでとても長かったように感じました。

なんだか、とても疲れた夏でした。

まだ夏の暑さは続いているけど.....

 

あと10年と言っていたら、その「あと10年」に突入しました。

同じ仕事を、毎月・毎年繰り返している様に思えていたけれど

少しずつ少しずつ、その繰り返しが変化していってます。

来年は、末っ子の娘も社会人になるから、あとは65歳まで

なんとか仕事を続けていって、両親を見送って

子供達の結婚式が出来れば、それで私の責任は果たせたことになるのか。

墓も、もう少し近いところへ移せたらと思っているんだけど。

 

嫁さんと旅行行きたいな。

最初は、広島・長崎・鹿児島辺りを巡ってみたい。

尾道のおばさんの家、もう見つけられないだろうけど。

写真が1枚残っているだけだから。

戦艦大和ミュージアムも見てみたい、旧日本軍の知覧航空基地へも行ってみたい。

知覧では、涙が止まらなくなる様な気がする。

 

嫁さんに、青森のねぶた祭りも見せたい。

札幌の街も見せたい。

客船に乗って船旅もさせてやりたい。

 

行けたら、沖縄も行きたい。私は、行ったこと無いから。

 

あっちこっちぶらぶら旅したいけど・・・行き当たりばったりの旅なんて

上手く出来ないだろうな。

ちゃんと明日の泊まるところとか決めてある旅しかしたこと無いし。

でも、なんか自由な感じがして憧れるものはあるかな。

 

そんなこんな出来たら、長男の子供の面倒見ていたいかな。

私の祖父・祖母達がそうしたように、いつも家に帰れば誰かいるような

そんな家に出来たら、孫達も良い子になるんじゃ無いのかなと。

 

あとは、大病をせずに嫁さんより少しだけ先に逝けたら、それでいいかな。

先に逝って、待っていたいから。

もう、やだって言われるかも知れないけど.......

 

あ・・・私は地獄に落とされちゃうのかな(>_<)

 

お墓について思う

私がたまに、さぼりに使う公園がある。

別に自分で会社をやっているのだから、さぼりというのも変なんだが。

場所は、山の上にある墓地の近くである。

墓地の駐車場から、少し下へ降りていくとこぢんまりとした公園がある。

昨日は、公園でヘリを飛ばした後、少し墓地の中を歩いてみた。

色々な形の墓地があり、ふとその中に巨大な場所を占有する墓標が

いくつか存在することに気づいた。

他の墓の10~20基分はあろうかという広いところに大きな墓標が建てられていた。

見れば、そのうちの一つは見覚えのある某商家の墓だった。

日本人が石の墓を建てるという風習自体、いつ頃から始まったモノなのか。

紀元700年頃から、日本では遺体を荼毘に付して遺骨を埋葬するという習慣が

広まっていったらしいが、弥生時代からそれまでの一般人の埋葬は

どのようにされていたのだろうと思う。

権力者達が墳墓と呼ばれる巨大な墓を築いたことは、学校で習ったのだが

一般の人々も、弔いという形が存在して集落の特定の場所に埋葬されていたという

記述を見つける程度だった。

 

どうしてこんなことを書いたかというと、死んでからもなお

財力と権力を誇示するように、大きな墓標を建てることがなにか滑稽に思えたからである。

死してしまえば、どんな人間も骨壺2つに納められてしまう。

その上で、生前の財力が云々というのは、もはや生きて残されたものの見栄でしか無いような、そんな気がした。

戒名というものも然り。

死者につける名前も、ランクがあるらしいが・・・

それは、なんなんだろうかと。

誰がどうやって決めたものなのだろうかと。

私が年を取ったせいなのか、要らぬ事が気になって仕方が無い。

人間として生まれ落ちて、座って半畳、寝て一畳。

少しばかりの贅沢をしたいがためにあくせくと働き、小さな住まいを手に入れて

喜々として喜んでいる。

人として満足していられれば、それで十分なのである。

人には器というものがあることは、十分に自覚しているから。

しかし、死んで逝った者達にもそんな差違があるのだろうかと

様々な墓碑を見ていて、ふと考えてしまっただけのことである。

所詮、現世を生きている者達の見栄に過ぎないような気がする。

そう言いながら、両親が逝ったときには

少しでも立派な墓標をと考えてしまう、浅はかな自分なのかも知れない。

そう思うと、やはり生きているものの見栄だな。

 

 

我が家のお盆も過ぎました

義父母の墓のある東山へ行き

祖父母の墓のある国見岳の上のお寺へ行ってお墓参りをしてきました。

墓標というのものは、亡くなった親族を偲ぶためのものであり

死者の眠るための場所と思っているのだけれど

必ずしも私達のやっている形式が全てではなく、散骨や総墓への埋葬という

形態を取ることも少なくは無い様子。

Mさんの息子が、そのようなことを言っていたときに

「墓くらい建ててやれよ」と思ってしまった自分がいたけれど

日本の墓という形式も所詮は人間が決めたもので、生きている人間の

勝手な思い込みであると言っても、間違いでは無いだろう。

死んだら存在も意識もなにも無くなるのだから。

あの世などというものがあればというのは、生きている者の心の慰めであろうし。

輪廻転生という考えは、幼い頃に祖母が話していたことから学んだものだし

さしたる学も無かったはずの祖母が、どこでその話を聞いたのかは

今となっては知る術も無いことではあるけれど、輪廻転生という考えは

チベット密教に発するものらしい。

人は死ぬと、ミミズから始まって沢山の生き物に生まれ変わって

ようやく人間に生まれてくることが出来たのだから、自分の命を粗末にしてはいけないと。

飯粒を粗末にしてはいけない。一粒の米には仏様が三体入っていらっしゃる。

という主題のおとぎ話を、何度も何度も聞かされたっけか。

ゆっくりと、実にゆっくりと流れていた自分の幼少期だったように思う。

なんにもなかった.............本当になんにもなかったんだけれど

とても恵まれていたように思う。

なんにもない、どこへも連れて行ってもらえない夏休みばかりだったように思うけれど

扇風機しか無くて、暑い暑いうだるような部屋の中で汗を流してゴロゴロしてた。

友達とプールへ行くのが、とても楽しかった。

1回30円くらいだったかな。

 

帰ると、いつも家には婆ちゃんがいてくれた。

優しかったな婆ちゃん。

父親母親よりも、爺さん婆さんとの思い出が多い様に思う。

無口で、いつもなんにも言わず、狭い小屋の中で黙々と桶をつくっていた。

大小様々な鉋や木槌、指物が並んでいた。

爺さんが死んだ後、父は全て捨ててしまったらしいが。

取っておく場所も無かったのは事実だが、そこには色々と父親の中の気持ちの問題があった様だ。