幼い頃、祖母の背に負われて耳にしていた子守唄。
祖母が勝手に創っていたものかと思っていたんだけれど
生まれ育った田舎の辺りで唄われていた子守唄らしい。
もっとも、私が憶えていた歌詞とは少しだけ違う気がするけれど
なにせ、遠い昔の多くだから。
ねんねんや、おころりや
ねんねの寝た間にまま炊いて、赤い茶碗にととよそて....
その辺りまでしか憶えていない。
.................これが元歌らしい.................
ねんねんや おべどこじゃ
ねんねの寝たまに まま吹いて
赤い茶碗に ままよそて
白いお皿に ととよそて
ねんねが起きたら 食わしょかな
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本当にやさしい祖母だった。
飯粒の中の仏様の話とか、人が死ぬとミミズから何度も生まれ変わって
ようやく人間に生まれてこれたのだから、命を大切にしなければならないとか・・・
何度も何度も、それこそ耳にたこができる位に聞かされた。
私は身体が弱かったから、よく風邪をひいて熱を出した。
そうすると、リンゴを摺り下ろして食べさせてくれた。
また、それも食べられない時は絞って飲ませてくれた。
本当に身体が弱かった私に、いつも寄り添って面倒を見ていてくれた気がする。
祖母がいなかったら、私は大人になるまで生きていられなかったかも知れないと思う。
小学校低学年の頃は、出席日数が危うくなる位に入院ばかりしていたし
そのせいか勉強も、ちゃんとついていけてなかったし。
それなのに良く看護師なんぞになれたものだと思う・・・あれは時代が良かったのかな。
「男の看護婦さん?なにそれ?」って良く聞かれたっけな。
全てがゆっくり進んでいた時代だったと思う。
ふと思う、「あんなやせっぽちで病気がちだった自分が
良くここまでやってこれたものだと・・・。」
婆ちゃん、ありがとうね。
「遺影の写真撮って欲しい」って何度も言ってたけど
良い写真あったじゃない、良い笑顔ですよ。
そんな写真、撮りたくないって言っちゃったっけか・・・ごめんね。