今年、6月に脳〇塞を発症した。
ちょうど、私の誕生日の頃だった。入院が16日で
症状をなんとなく感じてきたのが、入院の1週間ほど前からだった。
ベッドから起き上がった時に、左側にふらつくというかよろける。
踏ん張れば何とか出来た感じだったので、それから16日の午前中まで
仕事を続けて、メーター交換がある程度終わったところで受診してみることにした。
この時点では、重篤な疾患であるという懸念はあったものの
生半可に医療知識があったせいか、それらは否定して「メニエールかな ?」などと
安易に考えていた。
そして外来を受診したところ、担当したDrからすぐにMRIの指示が出て
江上の総合病院の方のMRIが使えるということで、Drからは止められたのだけれど
「大丈夫ですよ」と、運転して移動していた…危なかったんだな。
本当は、病院のシャトルバスを利用してと言われたんだよ。
左半側の麻痺が軽く出ていたから、AT車は問題なく運転出来ていたのだけれど…
そして、すぐにMRIとなり、気が付いたら病棟へ運ばれていた感じだった。
MRI担当の、小峠に似た鈴木さんという技師さん、
「どう? 帰ったらアカンのかな? 自分的には大したことないんだけど」と訊ねると
「先生の診断をもらわないと何とも言えないんです」と困った顔をしていたから
その時点で
「ちょっとやばいのかな」とは感じていた。
速攻で、入院の指示が出て、ベッドごと病棟へ運ばれて、入院生活が始まりました。
退院できる目途が全く判んない…オマケに、コロナのために自由に出られもしない。
それから、いろいろと紆余曲折はあったけれど23日間の入院で
なんとかかんとか、退院というのか脱出させてもらえた。
コロナのせいでまるで精神科に入院しているような窮屈さを感じたんだ。
でも、入院していて少しずし脳梗塞に関する情報を知ることが出来て
50歳以上の半数程度が罹患すること、そのうち20%が軽症で済む様だが
60%が深刻な麻痺症状を併発し生活に困難をきたし
恐ろしいことに20%が即死するというデータがあるらしい。
私の場合は脳幹部の錐体路交差部分に発生した梗塞だった。
OTの○○君の話だと「もう少し前方だったらヤバかったですかね」らしい。
主治医も、なんども
「本当にフラつく程度なのか」と確認していたのを覚えている。
悪運が強いのか、なんとかかんとか普通そうに動くことが出来ている。
なんというか、元はどんな感じで動けていたのか感覚的には判らない感じ…
でも、今は、何とかかんとか動けているから…
しびれているとか、感覚が無いとかは無いけれど
筋力は低下している。
年もそこそこの年だし、引退も考えていい頃だからこんなもんだろうという
そんな安易なあきらめもあるからなのか。
自分の性格の割には、焦りやいら立ちは無い。 不思議だ。
本当は、6月のあの時、逝ってしまっていたはずだったのに
何らかの力で、今生きさせてもらっているだけではないのか。
なんだか、そんな気がするんだよ。
いつまで、その魔法が続くのかわからないんだけれど
その時まで精いっぱい生きていくしかないんだよ。
会社閉じて、両親を見送って、裕基、彩加の結婚を見届けて
孫を抱くことが出来たら‥‥
そして、嫁さんに自分なりの恩返しが出来たら…
二人で、あちこち旅行がしたい…苦労と迷惑ばかりかけて
なんもしてやれなかったから…
こんな私でごめんね。
なんども、後悔しただろ。
俺は、お前が一緒になってくれて幸せだったよ。
ありがとう。