ume_boshiの          ブログ

人生の半ば、ふとした迷いから転職をしてしまった元看護師のぼやきです。

そろそろ寒くなってきました

暑い暑いとこぼしていたら、急に寒くなって灯油の価格が気になる時期になりました。

年なのかな、あちこち痛むなと感じる今日この頃です。

一緒に働いていた仲間達も、あと10年したら皆退職しているのかも知れない。

その時が楽しみなような、寂しいような。

したいことは沢山あるけれど、一気にそれらを実行してしまうと

逆に目標を無くして寂しさが訪れるのだろうか。

でも、色々なことをやりたいと思う気力と体力が伴ううちに行動しなければ

身体が言うことを聞かないのか、引き籠もりがちになってしまうようだ。

ちょうど、現在の私の父親のように。

口先だけは百人前だが、最近では車の運転もままならないのか

ひょっとして失見当識があるのかと思わせるようなところもあるし。

あれだけどこへも行かずにテレビの前でじっとしていれば、自ら呆けようとしているのか?と

思ってしまうような状態だから、逆に呆けないのが不思議なくらいなんだが。

船乗りをしていた頃の思い出の場所であろう、呉や佐世保の港へ旅してみても

良さそうな気がするのに、全く行こうとする様子が無い。

まさか、私達が旅の手配をするのが当然だと思っているのでは無いだろうが。

生活費を負担しろなどとは言わないから、その辺りは自分で自由にやって頂きたいと思う。

何につけても、実際は仲の悪い私の両親のことだから、父は母と何処かへ行けというと

激しく拒否するだけのことで、息子としては「なんとも情けない自分の親だ」と

悲しくなるので、ここ数年来、そんな話をすることも止めてしまっているのだけど。

頑固で無口で出不精な父親とは対照的に、四六時中出歩いてばかり居て

一日中壊れたテープレコーダーのように喋り続けている母親がいる。

おそらく、父親の方が先に呆けるか逝くのだとと思うが

後に、あの自己中心的で無責任で唯我独尊的思考の母親が残るのかと思うと

先行きが思いやられる気がする。

祖母は78歳で逝ったと記憶しているが、あの婆さんは母親の年を越えてしまった云々と

言いながら、いつまでもいつまでも生きていそうな気がする。

もう直、82歳になるのだが、元気なもので、毎日今日は東へ明日は西へと

お忙しい毎日を送っている。

時折、私より長きするのでは無いのかという想いが過ぎることすらある。

実際、私達姉弟の面倒は、祖母が殆ど見ていたようなものだったし

かといって、私の子供の面倒などは見ようともしなかった私の母親である。

結局、あの婆さんは小さい子供の面倒を見れない女だったのかなと考えている。

その癖、自分のことを様付けで「親様に向かって」などと言うことを平気で口にする

厚顔無恥ぶりで呆れるのである。

こういう人間は、周囲に気を使わないから長生きするらしい。

最後に面倒を見てもらうのは、私の嫁に頼むしか無いので申し訳ない気持ちになる。

私のつたない知識で考えても、おそらく私の両親は共に人格障害者であると考えられるので、最後は問題を起こさずに逝ってくれるかどうか不安である。

不遇な幼少期をおくったのであるということを、70歳くらいまで愚痴っていた人達だから。

もう、そんなことを言う年齢でも無いだろうにと、つくづく情けない想いで聞いていたが。

 

人は人として生まれて、どのような人生を生きてどのようにして死んでいくのか

各々が、自分なりに納得のいく人生を送れるように精一杯努力していれば

その結果がどうであろうが、満足して終わるべきだと思っている。

齢80を過ぎるようになって、まだ愚痴や不平不満だらけの我が親を見ていると

年寄りは、子供達や孫達のために陰から支えになっていれば良いものであり

いつまでも表にしゃしゃり出ようとする姿が、如何に醜いものであるかを

反面教師として教えられている気がする。

私は、あぁはなりたくない。

人生を遡ることが出来るなら、私が看護師を辞めず会社を継がず

家を出て県外ででも独立していれば、このような思いをせずに済んでいたのかも知れないと思うこともあるが

その場合は、長男なのに親の面倒を見ないとか言うのだろうし

その後にあったいくつかの出来事のせいで、父の家屋敷や会社は無くなっていた可能性もあるし

そうなれば、結局、破産するなりして私の所へ転がり込んできて今より悪い結果になっているかも知れないな、とも推測したりしている。

どちらへ転がっても、余り自由の無かった感じの私の人生だったけれど

それはそれなりに、運にも恵まれてここまではなんとか形になっている気がする。

私の代としてあと10年家の屋台骨を支えていければ、後は心配してもしょうの無い話で

その時どうなっていようとも、会社を閉じて老後の生活に入ることにする。

バルクタンクの入れ替えや、その後の業界を取り巻く情勢には、

もう対応していける柔軟性は無いと考えるから。

パワーバランスが崩れて卸会社に潰されるくらいなら、その前に身を引くことが是であると考えているから。

私が勤めていた場合の退職金くらいは残せるだろうし。

その時、私の両親は90過ぎか・・・

文句しか言わないだろうし、それまでにおとなしく逝ってくれていた方が

問題も少なくて済むと思う。

親父がいなくなれば、長男も結婚出来るような気がするんだよ。

なぁ婆ちゃん。