ume_boshiの          ブログ

人生の半ば、ふとした迷いから転職をしてしまった元看護師のぼやきです。

また、小心者な私がいて・・・

万事、順調と言っても良いような今日この頃です。

小事に問題は散在していますが、さして気にとめるようなことでは無く

この年になれば、誰しもある様なことばかりで・・・

 

数年ぶりに、貸倒金が数万円程度出そうなことを気にしている自分がいて

もう一人の自分が「なんだかなぁ」と思っていたりする。

損するのが嫌なんだよね・・・

そんな人間が、涼しい顔して生きていけることが気に入らないんだよね。

でも、良く知ってるはずじゃない。

そういう人間には、そんな人生しか待っていないことを。

他人に迷惑かけて得られる幸せなんて無いはず。

 

LPの卸価格も下がって、会社の経営も安定している今。

屑のような客が1件居なくなったところで、プラスでさえあるように感じないと。

Tさんの賃貸は、空いたらすぐに入るし。

次は良いお客さんが入るように、家の周りに塩でも蒔いておきましょうね。

 

良いときに、わざわざ小事を気にして心配事を見つけるようなことをせずに

笑顔で生きていけたらとは思うけれど・・・

なかなか良い生き方というのは、口で言うほど易しいことでは無いようです。

 

自分ってちっちゃいな~って、つくづくそう思わされることばかりの自分です。

 

良かった・・・

今年も、早、半分が過ぎてお中元の季節になった。

今日は、事務長のお宅へお中元を持って行った。

昨年暮れから連絡が取れない状態で、県外の病院へ入院しているとのことだった。

院内の知人に当たってみても、詳細は不明のままで

肝疾患の根治治療のために長引いているのだろうと言うことだった。

 

流石に、今回は奥様に入院先を教えてもらって、出来れば詳細を知りたいと

考えてお宅へ伺ったのだけれど、奥さんが出てこられたので挨拶の後

そのことを言おうとしたのだけれど、その間もなく

「今うちにおりますので」と言って、入れ替わりに事務長が現れた。

その時、自分がどんな顔をしていたのだろうと思うほど、呆気にとられていたと思う。

確かに「事務長は退院して家にいたりしてな」と安易に考えていた部分もあったのだけれど

まさか、本当にいるとは思っていなかったのが本当のところで、おかしな話だけれど

目尻から涙が流れてしまった。

まだ、一時退院といった状態のようで、左腰にはドレンがぶら下がっている状態だった。

聞けば、1月に奥様の肝臓の一部を使って生体肝移植を受けたとのことだった。

まだ半年くらいの経過だけれど、以前に比べて顔色も良くなっていると感じた。

なにより、実際に会って話が出来たのが嬉しかった。

良かった・・・ホントに良かった。

Mさんのことがあって、一度話を聞いてもらいたいと思っていたのだけれど

まだ、体調が良くになるまではしばらく時間がかかりそうなので

とりあえずその話をして、しばらくしたらお願いします・・・ということで

失礼してきた。

古狸事務長のお墓にもいってきたけれど、涙出ましたよ。

笑顔で涙が流れました・・・ホントに良かった。

来年には、短大が四大に移行するらしいです。

めでたい話で、またお祝いを持って行かねばと思っています。

続・・ぼやき  老害というものなのか

また、アル中の元上司から因縁をつける電話がかかってきた。
前回、相手をせずに電話を切られたことを根に持っている様であった。
今回は、少しまともな口調だったが、やはりアルコールは入っている様に感じられる。

昔病院にいた頃のことをあれこれ持ち出し、「〜してやった」「〜してやった」と
繰り返している。
余りにしつこいので、こちらも頭に来て、元上司の息子さんからかけられた迷惑というか
損害のことを話そうとしたが、「○○○は関係ない」と、聞きたくない話は聞かないという
なんとも都合の良い話である。

仕舞いには、「誰のお陰で大きくなったと思っているんだ」等と言い出すので
私のことか?何のことだ? と思ったら、センターの理事長に対しての言葉らしい。
昔、なにかで助けたと言うことを指しているのか、自分がセンターを大きくしてやったとでも
言いたいのだろうか・・・、何にしても病的な状態なので、まともに相手はしていられない。

センターへのガス納入は、事務長と理事長の判断なのですよ。
少なくとも、センターは貴方のモノではない。
Mさん、貴方が口火を切ってくれたことは感謝しているが、その時勇みすぎた性で
私は、設計士には随分と目の敵にされてしまったのです。
その後も、いろいろと苦労をすることになりました。
貴方は、1棟目の短大建設の後で辞めてしまわれたので知らないとは思いますが。
あとの3施設は、センターの皆さんのおかげで現在に至っているのです。

貴方は、私が退職する際に言ったではありませんか
「今まで、飯を食わせてもらった訳だから、病院にはありがとうございましたと一言言って
 スッキリと辞めて来いよ」と。
別に私は最初から、なにも言うことなどありませんでしたから「おかしなことを言うな」と
思っていましたが、貴方は、センターに対していろいろな思いがあった様ですね。

センターという大きな施設に属して働けたことは、私にとっては良い思い出だったし
今では誇らしい想いすら抱いています。
Mさん、貴方も同じ立場のはず。
俺のお陰で病院が繁栄している等という思いが欠片でもあるのでしたら
それは大きな思い上がりだと思います。
確かに貴方は頑張ったのだと思いますが、それはあくまで仕事だったのです。
対価として、給与は受け取っていたのですし・・・。

今の貴方の状態は、脳梗塞の後遺症やアルコールのせいだと思いたいです。
過去の貴方の部下達は、皆、立派にセンターの幹部職になり次世代を担っています。
元の部下達を、なんだかんだで脅して回っているのではないでしょうか。
彼らは一様に、貴方に連絡先をを教えていないらしいですから。
一番近くで世話になっていた人物の口からも、「少し距離をおこうと思う」という言葉が出ていたので
最初聞いたときは、お前が一番世話になっていたのになんてことを言うんだと
そんなことを思いもしたんだけれど、そう言わせてしまう様な、なにかがあったのでしょうね。

恩師とも言える人の、そんな変わり様を誰も見たくはないと思うのです・・・。

今日の私は、すこぶる不機嫌でおかしいくらいに不安定だった。
ダメですね、こんなことでは、もっとしっかりしなければ。

平穏な日々が続いていたんだけれど・・・

幾つかの細かな問題はあるにしても、そこそこ平穏無事な毎日が続いていた。
自分にとっては、病院を退職した2000年以来、初めてといっても良い位の
穏やかな春を迎えていると感じていた。

でも、水面下ではいろんな問題が蠢いているようで
今夜、Mさんから電話がかかってきた。
どうやら、また酔っているようであった。
「酔っているときは話をしないという約束だから」と、いったん電話を切るが
またすぐにかかってきて、酔ってなんかいないと言い、理事長の電話番号を教えろと
いうようなことを言っている。
夜遅くに電話を掛けまくるということが、相手に迷惑だと言うことすら判らなくなっているのか
あんなにしっかりした上司だったのに、人間というものはこんなに情けなくなってしまうものなのか。
私は理事長の電話を知らないし、もう遅いから電話をしてはいけないと繰り返すが
全く聞く耳を持たず、仕舞いには私を脅すようなことまで言い出すので
仕方なく再度電話を切って、すぐまたかかってきたところで着信拒否にした。
すまないです、M主任。
私が退職してからでも16年、貴方が退職してからでも10年以上経ってしまったのです。
今更、貴方が病院にいた頃の手柄を振りかざしたとしても、誰も聞く耳は持たないです。
時代は確実に流れているのです。
私達は過去の存在なのですから、静かに傍らから見守っているのがよいのです。
俺がお前らを育ててやったんだと言われるのかも知れませんが
上司が部下の面倒を見るのは、職務として当たり前だといわれればそれまでなのです。
確かにプライベートまで面倒を見ていただいて、皆、感謝しています。
しかし、それとか過去の話で、だからといって夜遅くに電話をしたりして
あちこちで迷惑をかけて良いという訳ではないのです。

そんなことを、貴方に言わねばならない状況が悲しい。
そして、その程度のことも理解出来なくなってしまっている貴方が情けない。
看護師だったのに、今ではあるコール嗜癖と言われても仕方のない状態。
何度か警察のお世話になり、恥ずかしいことに精神科のお世話にまでなってしまって。
元の勤務先では功績を挙げた人物なのに、退職後は、見る影もない状態で。

脳血管疾患による性格変化だとは思いたいですが
余りの変わり様に、病気の怖さというものを思い知らされています。
ただ、「お前にはこれだけしてやったのに・・・」
そんな悲しいことは、もう言わないで頂きたい。
貴方だけの力ではなかったはずです。
貴方自身が私に言ってくれたではないですか
「病院のお陰で今まで食って来れたのだから・・・」と
今も、事務長や理事長のお陰で、皆、頑張れている状態なのです。
そこで、今さら貴方が「俺のお陰で云々と」それはみっともなすぎて聞いていられない。
お里へ帰るのであればそれも良いと思います。
ただ、余りにこの様なことを続けると、貴方の功績も地に墜ちてしまうようで悲しい。

人は、今が情けないと過去にすがるようだけれど
自分自身も、そうならないように心して生きなければと思います。

酒を飲まなければ、いい人なんだけれど・・・

○○屋さん廃業

知り合いの○○屋さんが、この春に廃業することになったようです。

お母さんと息子さん(40代半ばかな)でやっていたのですが

突然、店を閉じることを決めたようでした。

何故そう感じるかというと・・・

そのお宅は、お父さんが15年程前にお亡くなりになりました。

立派なお宅があるのだけれど、昨年末に新しい家を建てて息子夫婦は家を出たようなのです。

家を新築したばかりなにのに、旦那が仕事を辞めてどうするんだろう。

大丈夫なんだろうか。

でも、閉店という知らせを聞いてお店に行った時、息子さんの笑顔を初めて見たような気がした。

商売が合わなかったのかな。

そういう私だって、別に商売したい訳でも何でもなくて、生きていくために仕方なくやっているだけなんだけど。

そりゃ、看護師続けていた方が良かったんじゃないかって、そんなこと辞めてから数え切れないほど思った。

でも、これは現実だから振った賽は元には戻せないのです。

お金の点で、なんとかごたつかずに生きて来れたのは幸運だったように思うから

人生の選択として、最善だったかどうかは別としてこれはこれで、良い方向に来れたのだと思うことにしている。

振り返って後悔ばかりしていてもしょうがないし。

ただ、子供達には自分が選んだ人生を歩ませてやりたい。

親のために子供が人生を曲げるなどということは、間違いだと思うに至ったから。

それにしても、金物屋さんは大丈夫なんだろうか。

奥さんが薬剤師さんだから、結構なお金になるらしいけど

旦那さんが仕事をちゃんと出来ないと、いろいろ家庭内で問題も出るだろうし。

子供が少し大きくなって、お婆ちゃんに面倒見てもらう必要が無くなった頃に

家を出て、自分達だけで暮らしていくというのは・・・

端から見ていてどうなのだろうかなと感じてしまった。

ただ・・・私も若かったら、そうしたかったかも知れないけど。

嫁さんが、もし薬剤師だったら、辞める選択はなかったんだろうかな。



どうなんだろう?・・・俺。

郷愁

優しかったな・・・婆ちゃん。
親は一度もしてくれた記憶がないけれど
婆ちゃんは、良く私の手を取って、
「栄養が足りないから、爪に白い半月が出ない」とか
「手首が細いから、もっと太くならないと」とか
私の手をさすりながら言ってたっけ。
その祖母の手は、しわしわだったけれどとても優しく暖かだった。
何かにつけて、わたしの身体をさすりながら「丈夫になれ」と呟いてくれた。
太陽が刺す日には、良く手を合わせて「ありがたい」と拝んでいた。
子供心に「日が射す位のこと」・・・と思っていたが、今はその気持ちがわかる。
米粒ひとつに仏様が三体入っていらっしゃるという話も、良くしてくれた。

食べ物を粗末にしてはいけない。万物に感謝しなくてはならないという気持ちも
祖母から教えられた。
近所の小川に小便をしたら、チンチンが腫れ上がって痛いといったら
川で死んでいたミミズを拾ってきて、きれいに洗って供養をしてくれた。
不思議なことに、それからしばらくで治ったんだが。
ミミズは大地をつくってくれる生き物だから、絶対小便をかけたりしてはいけないと。
人はミミズから始まって、何度も何度も転生した末にようやく人になれると聞かされた。
だから、自分の身体を、命を大事にしなければならないと。
自分の生きている根底の「人として大切な部分」は、祖母から教えられたのかも知れない。
火傷、痛かっただろうね。
婆ちゃんのせいなんかじゃない、私が悪かったんです。
それに、あの痛みは私に良い経験をさせてくれたと思ってます。
足の火傷の跡は、私の私たる印みたいに思っていますから。
今となっては、一つの自慢です。気にしないで。
いつも、私を抱いて育ててくれていたから・・・。

婆ちゃん、あなたのことを何かにつけ悪く言っていた両親を見送ったら
私もしばらくして、あなたの所へ逝くと思います。
あなたが金を工面してくれたお陰で出来た会社を、今は私が経営しています。
定年の年に、その会社を閉めるつもりです。

あなたの曾孫達は、立派に育っています。
良い子達ばかりです。ありがとうございます。
もうしばらく、この幸せな生活を続けさせてやってください。

ありがとう、婆ちゃん。

新年あけまして、ちょっと経ちました(^_^;

先日、自分の部屋のPCをWindows10にしてみました。
IEの代わりに出しゃばってきたMicrosoftEdgeとかってのがウザイので使ってないです。
Edgeで何故かATOKが使えないのですよ(×_×)

んな事はよいとして・・・。
原油価格、えらいことになってますね。
産油国の足並みが乱れまくってるようで、「うちの原油買ってくれ〜」状態なんでしょうか。
予想外に米国のシェールオイルが頑張ってるのと、イランの禁輸措置が解除されて
原油輸出が再開されたことで、元々下がっていた原油価格が、更に下がる傾向に。
昨今は、ソーラーパネル風力発電等の自然エネルギーによって
化石燃料依存比が低下している状況ですし、弱り目に祟り目だったのでしょうか。

振り返ってみると、ちょっと前まで産油国の皆さんは
「原油が半分しか売れなくなったら、値段を倍にすれば、収入は同じになる」等と
豪語していらしたように思うんですけど、こうあっちこっちから色々なファクターが
降りかかってくると、流石は我先に「買うてくれぇ〜」ってなるのですね。
かなりの割で収益が減っているのでしょうか?
これは、我々としてはうれしいのですけど、中東の砂漠の民の皆さんの新たな火種になりかねない。

はっきり言って、尻の下に原油がなければ、糞のような価値しかない国々ですから
思想が違うとか、うちの地下に繋がってる原油だまりから勝手に吸い上げるなとか
(そもそも、誰がオメーの国のモンだと決めたんだよ)という話だし。
(原油って、本当は地球規模で管理すべき資源だと思うんだけど)
砂漠の民の一部の人間が、湯水のように金を使いまくっている現状を
殆どの人が知らないのでしょうけど。
金のロールスに金の便器とか、モナコに豪華客船で使用人含めて千人規模の旅行とかね。
もうキチガイ沙汰の金の使いかたしても、まだ増え続けるオイルマネーらしいですから
それで良いのか!って、灯油とかガス配達していて感じてしまう。

太陽熱から発電や蓄電して、不足分は発電機で賄えて、電力会社に依存しない
そんな家に住んでみたいなと思うのよ。
最近、そんな感じの家の提案も出来る時代になってきたからね。
外観じゃなくて、機能的に凄い家というのに憧れる今日この頃。