ume_boshiの          ブログ

人生の半ば、ふとした迷いから転職をしてしまった元看護師のぼやきです。

なかなか暑い夏になりそうだ

週が明けて、心機一転頑張ろうと思ったけれど

なかなかの暑さが続いていて、一日中頑張る訳にも行かない。

気持ちはあっても、体力がというか年なんだろうか。

この身体、あと10年持つのかな。

ここまでの16年とは、ちょっと違ったしんどいものになるんだろうか。

 

そう言えば、この日記は下書き状態で保存しておくと

公開にした日の日付になってしまうようだ。

忘れずに、その日のうちに公開しないと、この前の日記のように

ぼやいた内容が、とんでもない順番で書き込まれてしまうことになる。

気をつけよう。

 

親父(Mさん)のことは、そうそう吹っ切れることでは無いようで

何かにつけて頭に浮かんでしまう。

映画のDVD、沢山あったのに持って行ってあげれば良かった。

思っていて、しなかったことが沢山ある。

お酒飲みにだって、いくらでも連れていってあげられたのに。

今年の会社の状況なら、温泉くらい連れて行ってあげられた。

ホントに、ひとりぼっちになっちゃってたんだろうね。

あんなに、皆に囲まれていた人だったのに・・・

 

周りに当たり散らしてばかりいたからだよ。

みんな怖がってしまっていたんだと思うし、貴方は親のような存在だったのですから

それに、皆、それなりの年齢になって家庭を持っているのです。

それも若くは無い、子供達が自立していくような年齢で・・・。

そんな元部下達に、酔っ払って真夜中まで電話しつづけたのですから。

 

ごめんね、もう、貴方自身でもどうしようも無くなっていたのでしょうね。

自分で自分の感情をコントロール出来なくなって......そんな行動取るような人では無かったのに

そうせずにいられなかったのでしょう。

どんな医師でも、脳器質性の精神疾患には対症療法しか無いですから...と言うだろうし。

身体の症状は軽くて済んだのに、精神がやられてしまったとは。

「人が心に思うことは、誰にも止められないから」

とある映画での、加藤登紀子さんのセリフですけども

自分自身でさえも、心に思うことは止めることが出来ないのは事実。

 

偲ぶ会をやろうと思うんです。

貴方を送り、自分自身の気持ちに区切りをつけるために。

病気が無かったら・・・

あの破天荒な息子さんの借金が無かったら・・・

貴方は今も笑顔で生きていてくれたのでしょうか。

 

最後に、離れを建てた借金は、あれは1年待てば良かったんだよ。

でも、今は息子さんも帰ってきたし、あれはあれで必要だったのかも知れない。

そう思うと、貴方は家族のために必要なことをして逝ったのでしょうか。

 

いくら私達でも、家族の中にまでは入れはしないと

そう感じた出来事もありましたっけ。

 

これからが、どうなっていくのか判りません。

私も年を取ってリタイヤしたら、貴方のように寂しくなってしまうのでしょうか。

奥さんが入院していたからなのかな。

私も、嫁さんがいてくれなかったら寂しいだろうね。

嫁さんより先に死にたいなって、そんなこと、たまに思うから。

Mさん、良かったら偲ぶ会に来ますか?

あちらが楽しいから来ないでしょうね。

こちらが嫌になって逝ったのだし。

思い出の写真、用意しないとです....

 

 

 

一息ついて良いのかな?

いつからだったろう・・・

20代の頃からずっと、

これでいいのか?・・・と何か満たされない想いがあって

何をしても達成感が満ち足りないというのか、不完全燃焼で

何か次のものを求めているような感じだった。

学生の頃、看護師になればそれは満たされるのかも?と期待した。

資格試験を受けて、合格発表があって・・・

新聞紙面に自分の名前があって「受かってたよおめでとう」と声をかけられても

昨日の自分と今日の自分で、何かが変わったわけでも無く

そうか、受かったんだな・・と思いながら、確かめもせず仕事をしていた。

全国大会の発表者として山形まで行って、発表を終えて帰ってきても

行く前の自分と戻ってきた自分との間で、何らの変化も感じられ無かった。

2年目でオペ室に異動になって、院内ではちょっと特殊な立場に置かれたらしいことは判った。

今まで男性看護師が配属されたことの無かったオペ室に、2名配属された片割れが私だった。

運の良いことに一番信頼していた先輩と一緒で、自分としてはとても楽しく

「なんだか判らないが、大きな渦に巻き込まれたような期待感と不安感」

で、ワクワクくしていたのを憶えている。

オペ室勤務で、少しだけ自分の中に変化があった気がしている。

最初は奇異な目で私達を見ていた医師達が、少しずつ期待をしてくれるようになっていて

時に、男性看護師であることを褒めてくれるようなこともあったりした。

自分にとって医師達は、とても頭のいい人達であり、私などとはレベルの違う人生を歩んできている人種だと思っていたので、

そんな人達から期待されるなどと言うことは思ってもみなかったことだった。

 

ひょっとして、私はそれまで周囲から褒められたり期待されたりした経験が少なかったのかもしれない。

我のない方だったし、我を発揮すると言うことはわがままになるようなことだと、姉を見ていて思っていたのだろう。

私の姉は、「我の塊」のような人物だったから。

少しでも思い通りにならないと、おかしな持論を展開してでも自分の意見を押し通そうとすることが何度もあったので、私は姉には深く関わらない方が良いと思いながら生きていた。

自分の都合が悪くなると、狂ったような反応を見せる性格は、今でもそんなに改善されていないと思うので、彼女が遠くにいることをありがたいと感じている。

そんなことはどうでも良いのだ・・・

 

オペ室にいて、期待されながら頑張っていれば良かったものを

私は、病棟への異動希望を出すということをしたために、オペ室で

昇進するだろうという周囲の期待を大きく裏切っていたらしい。

それでも、病棟で学生の指導担当になりしばらくすると上司から

昇任試験を受けるように言われた。確か36歳の時だったと思う。

また、この時に私は人生のハンドルを切り損ねているらしかった。

なんと、父の会社を継ぐという名目で退職願を提出したのだった。

今思えば、これが一番の失敗だったのだと思う。

 

父の思うつぼにはまっていったわけで・・・

それまで、何かというと「手伝ってくれ」と言ってきていた状態が

使ってやっているという態度に豹変したのには驚いた。

咳をしながら背中を丸めて、暑い日も雪の日も外で仕事をしている父親

これから先は、少し余生というものを楽しんでもらおうと思って

退職願を出したのではあるが、父の思いは違ったようで

自分の会社に自由に使える社員が出来た的な感覚だったらしい。

私自身、人生の大切な時期にさしかかっていながら、さして父親の会社の

経営状態を調べもせずに退職を決めたのは、かなり浅はかだったと今にして思う。

LPガス業界は、その時既に下向きに加速していたらしいのである。

お客さんは毎年何件かずつ消えていく状態で、それは電化だけでは無く

高齢化で施設に入ってしまったり、お亡くなりになったりして消えていったお客さんが多数いた。

それでもなんとか現在やっていけているのは、センターの理事長や事務長の気持ちで、ガス納入をさせてもらえているお陰に他ならない。

我を張って偉そうにしていた父も、今年齢80になり、少しだけ弱ってきたらしい。

馬鹿な意地を張らずに、少しでも生まれてきた意味を感じて人生を楽しめば良いと思うのだけれど、暗い部屋の中でテレビのリモコンを握りしめて毎日を過ごしている。

ガス屋になってからのことは、細かくは書かずに端折ってしまったが

それなりに書きたくも無いようなことが沢山あった。

お陰で、人間的には少しだけ賢くなれた気はしている。

病院にいれば、そんな思いをせずに生きてこれたのだろうに、馬鹿な自分だとはつくづく思うが。

どちらが良かったのかは、死んでもわかりはしないだろう。

でも、ここへ来て、あれだけ焦り続けて、何をしても不完全燃焼のようになっていた自分が、「こんなもんかな」と、ポンッと坂道を抜けたようなと言うか、負荷が無くなったような気持ちになっている。

どうしたというのだろうね。

まだ死ぬと言うことでも無いとは思うのだけれど。

お世話になりました。

Mさん、今日、花を供えに行ったら小さな骨入れに収まってました。

安楽に眠れていますか。

そんなに死にたかったのですか。

どんな気持ちだったのか、私には判ってあげられなかったけど

「辛くて辛くて、死んだら楽になるって、それしか考えられなくなる」って

そう話していましたね。

デパス飲んでもだめだったんですか。

薬と一緒にお酒飲むから変なことになるんですよ。

貴方は、私達の上司だったのに

無鉄砲なことまでして、私達のために動いてくれたけれど

自分のことはダメダメな人でした。

最後は、コップ半分も飲んでいないのに酔ってしまっていたとか。

ボトル1本空けて笑っていた人だったのに。

 

山ほどの武勇伝だけ残して逝ってしまったんですね。

今度は、私が寂しい思いをする番なのかな・・・。

 

初めて、人前であれだけの涙を流しました。

泣いていた訳ではないけれど、涙が止まらなかった。

馬鹿ですね、一言声をかけていれば・・・

あの日、ちょっと寄って話をしていたら・・・

 

今日は、もう蜉蝣はいませんでした。

もうすぐお盆だけど・・・

 

いつまでもうしろ向いていてもしょうが無いので

また、前を向いて歩き出したいと思います。

佐世保のMさんのご実家へ、いつか行ってみようと思うんです。

まだちょっと先の事になると思うけれど。

 

出来ん坊主の迷惑かけてばかりの部下で。申し訳ありませんでした。

Mさん、雲の上から見守っていて下さい。

私も寂しいのは嫌いです。

今日になりました・・・

3日間ドタバタでした。

それにかまけて、寂しさや悲しさを紛らせていたけど

とうとう今日になりました。

伊達男な明るいMさんでしたから

涙を流さずに、見送りたいと思います。

思えば....

学生の頃から、ちょうど刷り込みみたいに後ろついていってました。

何を言っても

「判った、任せておけ」

「なんとかしてやるから心配するな」

って、そんな人だった。

一番、無理難題.......言ったのは俺だったのかな。

どんな目が出ても、Mさんのやったことは良い方向へ向いたっけな。

他人に足を引っ張られて降格になったときも、しばらくして

次長に昇格したっけね。

オペ室も、大変だったけど本当に楽しかったです。

 

 

 

 

ホントは「柗」って字なんだね。

 

 

 

 

 

みんな来てたよ

Mさん、みんな来てたよ。

いよいよ明日になっちゃったけど。

オールドも用意してあったよ。

さすがにビンごとは入れられないんだろうけど。

化粧して、白い顔になってたね。

棺に、ソフトの写真入れようと思ったんだけど

みんな写ってる写真だから、やっぱり止すことにしたよ。

向こうで、麻雀メンバーが待ってるだろうから

寂しくはないだろ。

明日も行くから、ちゃんと昇っていくまでみんなで見てるから

 

今日も、家の裏見てみたけど、蜉蝣はもういなかったよ。

写真探しててね、ちょうど坊主達が大きくなる間

一番良い時期に、Mさんのそばで頑張れたんだなと思ったよ。

ソフト、楽しかったね。

俺は下手くそだったけれど、みんなが上手だったから

チームは強かったね。

オペ室も、しんどかったけど良い経験出来たし楽しかったよ。

ありがとう。

親父の孫は、通夜の間良い子していたよ。

きっと、いい男になるんじゃないかな。

 

それから・・・若い頃の写真過ぎたかな。

遺影が格好良すぎるよ。

今の俺たちより若い写真なんだものね。

一番良かった頃だろうね。これからって感じで・・・。

 

来月から、検針行ってももういないんだね。

なんで、そんな早まったことしたんだろ。

まだ、10年くらいはいられたと思うんだよ。

そこまで行けば、会社閉じるつもりだから

そしたら、長崎へ・・・佐世保へ一緒に行きたかったな。

 

リタイヤしたら嫁さんと二人で九州へ行ってみるよ。

 

でも、いよいよ明日なんだね。

まるでエアポケットのような・・・

Mさん、貴方が寝ている間に一つずつ準備が進んでいます。

今にも起き上がりそうな顔色で寝てましたけど。

D君も来ました。

テキパキとOB連中にも連絡を取り、通夜に並べる供物の手配をしていました。

あの頃のやんちゃそうな横顔は、欠片も見えないです。

今や情報管理室長だもの....ね。

Iさんは副部長、Tさん、Kさんは看護師長....

Mさん、やんちゃ坊主ばかりだった貴方の部下達は

みんな立派になりました。

いったい何が寂しかったのですか・・・。

 

集まれと、ちゃんと伝えてくれていたら

皆すぐに集まったはずなのに、明日は沢山の人が貴方に会いに来ますよ。

なんで一人で寂しがっていたんだろうかと。

 

ノートに「もう ゆっくり眠りたい」って

そう書いてあったけど、

いつでもゆっくり寝られたはずじゃない。

あちらに行ったら、理事長とか石○さんとか先に渡った人達が

沢山持ってたんでしょうか。

寂しがりだから、まだ、家の周りでウロウロしているのかも知れない。

そういえば....

3時頃から、外にいた私の周りを黒い薄羽蜉蝣が飛んでいました。

余りいつまでも周りを飛んでいたので、息子さんを呼んだら

どこかへ飛んで行ってしまったけど。

あれは、Mさんだったのですか....

ホントに、息子さんを呼んだ途端に何処かへ飛んで行ってしまいました。

 

お酒さえ飲んでいなければ、私はいつでも話し相手になれたのに

最近は、少し飲んでも酔っ払ってしまっていたそうですね。

いつも「オールド1本くらい」って・・・言ってたのに。

いつもズレたカラオケばっか歌って、ズレると上手に聞こえる歌ばかり探して・・。

金がない癖に、まだ学生だった私達を飲みに連れて行ってくれて。

いつも、何を言っても「良し判った、儂がなんとかしてやる」って、そんな感じで。

なんとかしてしまったのもすごかったけれど。

 

でも、そんなに寂しがりだったんですか。

九州男児だから、長崎佐世保の生まれだからと言ってたのに。

そう言えば、いつか長崎へ連れてってくれる話は、もう....無理ですね。

事務長は、通夜も葬儀も来て下さるそうです。

まだ、オペ後で身体が万全ではないのに来てくれるそうです。

 

みんなMさんのことを気にかけていたんですよ。

どうして判ってくれなかったんですか。

いつも、真ん中にいてくれた人だから、寂しかったのですか。

 

今日は一日、時間が止まったような感じでした。

電話もかからず、なんにも無い時間が過ぎていきました。

色々あったことが、一つずつ浮かんでは消えていきます。

 

一人ではなかったのにね。

貴方ほどの人が、そんなに寂しかったのですね。

 

ごめんなさい。

なんてことだ・・・・

Mさんが死んだ。

 

一昨日辺りから、なんでかスマホの調子がおかしくて

勝手にアプリが起動していたり、ポケットの中で勝手に写真撮ったりして

調子がおかしかったんだが・・・

今夜になって、Mさんの息子さんから電話がかかってきていたのに

何故か音が鳴らなかったらしい。

夕飯の後、ずっと手元に置いていたのにバイブすらしなかったのか

全く気がつかなかった。

30分ほどして着信に気がついて電話したが、向こうは留守電になっていて

どうしたのかなと思いながら、メッセージを入れておいた。

9時過ぎになってD君から電話があって

「Mさんが死んだらしい」と。

こんな肝心なときに電話に気がつかなかったなんて。

俺、ずっと電話出なかったからな・・・

寂しかったんだろうな、おやじさん。

聞けば、皆の所へ電話をかけまくっていたらしいし。

そのたびに酒飲んだ状態でくだまいて・・・そりゃみんな電話に出なくなるよ。

 

でも、遺書まで書いてなんでよ・・・。

まだまだ、いくらでも楽しいことあっただろうに、なんで。

19日に行ったときも、出来るだけ音立てないように静かに検針して帰ってきたけど。

酒飲んでたら、話してもどうしようも無いと思ったんだよ。

でも、避けてたのは事実,,,,,

 

あれだけ世話になったのに、しんどいときも近くにいてくれた人だったのに

最近の自分は、電話すら出ずにいた。 

聞けばも皆そんな状態だったらしいが,,,,

 

なんか、もう訳わかんないよ。

そんな死ぬほどのことなんか、なにも無かったのに。

寂しかっただけで、ほんとに死んでしまったのか。

貴方は、あれだけ豪儀で懐の深い人だったはずなのに

看護師していて、自分がアル中になってしまうなんて

ミイラ取りがミイラって話を地で行くように事で、脳梗塞の後遺症だったのかな・・・

性格変化は発生するらしいから。

そんなこと、身をもって俺たちに教えてくれなくて良いんだよ。

 

部下から師長を5人も育てたんだよ。

息子さん泣いてたよ。

道楽息子だったけど、子供も生まれてやっと落ち着いてきてたじゃ無いか。

なのに、なんでだよ。

孫も出来て、爺ちゃんしてれば良かったのに。

 

だから、病院辞めたらアカンって言うたのに。