ume_boshiの          ブログ

人生の半ば、ふとした迷いから転職をしてしまった元看護師のぼやきです。

今日は山の日らしい

けど・・・一日、家から一歩も出ずに、PCのHDDデータレスキューしていた。

なんとかなった模様。

ほとんどエロ動画なんですけどね(^_^;

それも、見もしないで溜めてるだけの。

3TBをシングルパーティションで使ってて大丈夫なのかな。

 

ふと、また思い出してたんだけど、私が退職したのが2000年の春で

Mさんが辞めたのが、3年ほど後だったのかな。

精神病院が2003年に移転しているから、それより前だったんだと思う。

退職してからしばらくして、加賀のサナトリウムにしばらく勤めたり

近所のKB外科で夜勤のアルバイトしたりしてたんだよね。

お金の為もあったのかも知れないけれど、一人で寂しかったんだろうね。

あの頃は、あれこれ勤務中のことを話してくれたっけか。

色々、仕事に関して不満はあったみたいだったけれど・・・。

楽しくは無かったのかな。

そりゃ、あれだけMさんMさん言われて、センターの中心にいた状態から

新参のアルバイトみたいな立場になってしまうと、楽しくは無いだろうね。

でも、そんなに趣味の無い人だったのかな。

いつも皆に囲まれて、皆のために動いてた人だったから

お酒飲んだり、皆で一緒にいるのが趣味みたいなもんだったのかな。

大型のバイク買ったりして、あちこち走りに行ったって話は

まだ勤めてた頃のことだったのだろうか。

あんなに知り合いや友達が沢山いると思ってた人だったのに、

毎日、ワイワイとお祭りみたいになってないと寂しかったのかな。

そんなこと無いよね、ドラ息子の残した借金を10数年かかって

やっと完済するところだったんだし・・・。

あれだけ頑張って明るい道を歩いてきたのに、急に報われない生活になって

どこにもぶつけようが無い気持ちだったんだろうね。

それで、酔うとあちこち電話してくだまいてしまったんだろうし・・・。

それで、余計に寂しい状況をつくってしまっていた。

知らなかったけれど、公立病院や警察にもかなり迷惑を掛けてしまっていたらしい。

どうしてしまっていたのですかMさん。

老いによる寂しさは、誰にでも訪れることで、現役の連中に「つきあえ」と

言われても無理になることが多い。

リタイヤして第2の人生を送るというのは、そんなにしんどいことなのか。

 

もしも、嫁さんが先に逝ってしまったとしたら、確かに寂しいだろうな。

なにか呟いても、返事が返ってこないなんて嫌だよね。

リタイヤして、嫁さんとあちこち旅出来たらと思うけど・・・

それが出来たら、嫁さんより長生きしていたくは無いかな。

その為には、後10年、とりあえず頑張らないと........ね。

 

 

 

 

 

偲ぶ会をしようと・・・

私を入れて4人ほどで、偲ぶ会をしようかなと思う。

Kさんの提案なのだけれど、一昨年の9月にMさんと4人で行ったのを

憶えていて、そう言ってくれた。

一昨年と同じ旅館にしたら、Mさん出てきそうで怖いから

今度は別の旅館にしようと思う。

それまでに、思い出の写真とか焼き増ししないとですね。

涙流して思いで話しても、切りが無いんだろうけど

余りにあっけなく消えてしまったから、なにかしないと。

 

釣りしてきたんだとか、バイクで旅行してきたんだとか・・・

そんな羨ましいほどの引退生活が待っていたはずじゃ無かったのですか。

ずっと万年床で寝たまま酒飲んでテレビはつけっぱなしで・・・。

気持ちが鬱いでしまっていたのでしょうか。

九州へ一度帰ってみても良かったのかも知れないのに。

 

そんな話もこんな話も、あれこれしてみようと思うんだよ。

あの日のメンツに、貴方の代わりに息子さんを加えてね。

場所はどこでも良いんだ・・・

泊まれて食事が出てお風呂があれば。

D君を呼んだ方が良いのかどうか、まだ迷っているんだけど。

病院内の人達が偲ぶ会をしようと思えば、いつでも企画して出来るだろうから。

もし、私を呼んでくれたとしたら喜んで行くつもりだけれど

おそらく、Mさんのことは彼らの中ではもう終わっているんだと思うから

そんな話が出ることは無いんだろう。

 

Mさん、今頃、雲の上でなにしてるんでしょうか。

オリンピックくらい見ていけば良かったのに。

そんな誕生日にこだわらなくても。

来年の命日には、誕生日ケーキを持っていかないといけないじゃないですか。

へんな命日になってしまうよ。

息子さんは、墓を建てないみたいだし仏壇もどうなるやら。

墓たてて欲しいんだけどね、たまに会いに行きたいから。

でも、そこまでは、私には口出せないから。

ひょっとしたら、彼は改装したときに電化にするつもりなのかも知れないから

そしたら、Mさんの家に行くことは、もう無くなるんだろうね。

夜中に酔っ払い電話がかかってくることも無いんだね。

寂しいような、ホッとしたような。

複雑です。

あの家では、色んな事があったから。

楽しいことは沢山あったし、夜中に泣きながらMさんを叩き起こしたときもあったな。

迷惑を沢山掛けたよ。

なかなか暑い夏になりそうだ

週が明けて、心機一転頑張ろうと思ったけれど

なかなかの暑さが続いていて、一日中頑張る訳にも行かない。

気持ちはあっても、体力がというか年なんだろうか。

この身体、あと10年持つのかな。

ここまでの16年とは、ちょっと違ったしんどいものになるんだろうか。

 

そう言えば、この日記は下書き状態で保存しておくと

公開にした日の日付になってしまうようだ。

忘れずに、その日のうちに公開しないと、この前の日記のように

ぼやいた内容が、とんでもない順番で書き込まれてしまうことになる。

気をつけよう。

 

親父(Mさん)のことは、そうそう吹っ切れることでは無いようで

何かにつけて頭に浮かんでしまう。

映画のDVD、沢山あったのに持って行ってあげれば良かった。

思っていて、しなかったことが沢山ある。

お酒飲みにだって、いくらでも連れていってあげられたのに。

今年の会社の状況なら、温泉くらい連れて行ってあげられた。

ホントに、ひとりぼっちになっちゃってたんだろうね。

あんなに、皆に囲まれていた人だったのに・・・

 

周りに当たり散らしてばかりいたからだよ。

みんな怖がってしまっていたんだと思うし、貴方は親のような存在だったのですから

それに、皆、それなりの年齢になって家庭を持っているのです。

それも若くは無い、子供達が自立していくような年齢で・・・。

そんな元部下達に、酔っ払って真夜中まで電話しつづけたのですから。

 

ごめんね、もう、貴方自身でもどうしようも無くなっていたのでしょうね。

自分で自分の感情をコントロール出来なくなって......そんな行動取るような人では無かったのに

そうせずにいられなかったのでしょう。

どんな医師でも、脳器質性の精神疾患には対症療法しか無いですから...と言うだろうし。

身体の症状は軽くて済んだのに、精神がやられてしまったとは。

「人が心に思うことは、誰にも止められないから」

とある映画での、加藤登紀子さんのセリフですけども

自分自身でさえも、心に思うことは止めることが出来ないのは事実。

 

偲ぶ会をやろうと思うんです。

貴方を送り、自分自身の気持ちに区切りをつけるために。

病気が無かったら・・・

あの破天荒な息子さんの借金が無かったら・・・

貴方は今も笑顔で生きていてくれたのでしょうか。

 

最後に、離れを建てた借金は、あれは1年待てば良かったんだよ。

でも、今は息子さんも帰ってきたし、あれはあれで必要だったのかも知れない。

そう思うと、貴方は家族のために必要なことをして逝ったのでしょうか。

 

いくら私達でも、家族の中にまでは入れはしないと

そう感じた出来事もありましたっけ。

 

これからが、どうなっていくのか判りません。

私も年を取ってリタイヤしたら、貴方のように寂しくなってしまうのでしょうか。

奥さんが入院していたからなのかな。

私も、嫁さんがいてくれなかったら寂しいだろうね。

嫁さんより先に死にたいなって、そんなこと、たまに思うから。

Mさん、良かったら偲ぶ会に来ますか?

あちらが楽しいから来ないでしょうね。

こちらが嫌になって逝ったのだし。

思い出の写真、用意しないとです....

 

 

 

一息ついて良いのかな?

いつからだったろう・・・

20代の頃からずっと、

これでいいのか?・・・と何か満たされない想いがあって

何をしても達成感が満ち足りないというのか、不完全燃焼で

何か次のものを求めているような感じだった。

学生の頃、看護師になればそれは満たされるのかも?と期待した。

資格試験を受けて、合格発表があって・・・

新聞紙面に自分の名前があって「受かってたよおめでとう」と声をかけられても

昨日の自分と今日の自分で、何かが変わったわけでも無く

そうか、受かったんだな・・と思いながら、確かめもせず仕事をしていた。

全国大会の発表者として山形まで行って、発表を終えて帰ってきても

行く前の自分と戻ってきた自分との間で、何らの変化も感じられ無かった。

2年目でオペ室に異動になって、院内ではちょっと特殊な立場に置かれたらしいことは判った。

今まで男性看護師が配属されたことの無かったオペ室に、2名配属された片割れが私だった。

運の良いことに一番信頼していた先輩と一緒で、自分としてはとても楽しく

「なんだか判らないが、大きな渦に巻き込まれたような期待感と不安感」

で、ワクワクくしていたのを憶えている。

オペ室勤務で、少しだけ自分の中に変化があった気がしている。

最初は奇異な目で私達を見ていた医師達が、少しずつ期待をしてくれるようになっていて

時に、男性看護師であることを褒めてくれるようなこともあったりした。

自分にとって医師達は、とても頭のいい人達であり、私などとはレベルの違う人生を歩んできている人種だと思っていたので、

そんな人達から期待されるなどと言うことは思ってもみなかったことだった。

 

ひょっとして、私はそれまで周囲から褒められたり期待されたりした経験が少なかったのかもしれない。

我のない方だったし、我を発揮すると言うことはわがままになるようなことだと、姉を見ていて思っていたのだろう。

私の姉は、「我の塊」のような人物だったから。

少しでも思い通りにならないと、おかしな持論を展開してでも自分の意見を押し通そうとすることが何度もあったので、私は姉には深く関わらない方が良いと思いながら生きていた。

自分の都合が悪くなると、狂ったような反応を見せる性格は、今でもそんなに改善されていないと思うので、彼女が遠くにいることをありがたいと感じている。

そんなことはどうでも良いのだ・・・

 

オペ室にいて、期待されながら頑張っていれば良かったものを

私は、病棟への異動希望を出すということをしたために、オペ室で

昇進するだろうという周囲の期待を大きく裏切っていたらしい。

それでも、病棟で学生の指導担当になりしばらくすると上司から

昇任試験を受けるように言われた。確か36歳の時だったと思う。

また、この時に私は人生のハンドルを切り損ねているらしかった。

なんと、父の会社を継ぐという名目で退職願を提出したのだった。

今思えば、これが一番の失敗だったのだと思う。

 

父の思うつぼにはまっていったわけで・・・

それまで、何かというと「手伝ってくれ」と言ってきていた状態が

使ってやっているという態度に豹変したのには驚いた。

咳をしながら背中を丸めて、暑い日も雪の日も外で仕事をしている父親

これから先は、少し余生というものを楽しんでもらおうと思って

退職願を出したのではあるが、父の思いは違ったようで

自分の会社に自由に使える社員が出来た的な感覚だったらしい。

私自身、人生の大切な時期にさしかかっていながら、さして父親の会社の

経営状態を調べもせずに退職を決めたのは、かなり浅はかだったと今にして思う。

LPガス業界は、その時既に下向きに加速していたらしいのである。

お客さんは毎年何件かずつ消えていく状態で、それは電化だけでは無く

高齢化で施設に入ってしまったり、お亡くなりになったりして消えていったお客さんが多数いた。

それでもなんとか現在やっていけているのは、センターの理事長や事務長の気持ちで、ガス納入をさせてもらえているお陰に他ならない。

我を張って偉そうにしていた父も、今年齢80になり、少しだけ弱ってきたらしい。

馬鹿な意地を張らずに、少しでも生まれてきた意味を感じて人生を楽しめば良いと思うのだけれど、暗い部屋の中でテレビのリモコンを握りしめて毎日を過ごしている。

ガス屋になってからのことは、細かくは書かずに端折ってしまったが

それなりに書きたくも無いようなことが沢山あった。

お陰で、人間的には少しだけ賢くなれた気はしている。

病院にいれば、そんな思いをせずに生きてこれたのだろうに、馬鹿な自分だとはつくづく思うが。

どちらが良かったのかは、死んでもわかりはしないだろう。

でも、ここへ来て、あれだけ焦り続けて、何をしても不完全燃焼のようになっていた自分が、「こんなもんかな」と、ポンッと坂道を抜けたようなと言うか、負荷が無くなったような気持ちになっている。

どうしたというのだろうね。

まだ死ぬと言うことでも無いとは思うのだけれど。

お世話になりました。

Mさん、今日、花を供えに行ったら小さな骨入れに収まってました。

安楽に眠れていますか。

そんなに死にたかったのですか。

どんな気持ちだったのか、私には判ってあげられなかったけど

「辛くて辛くて、死んだら楽になるって、それしか考えられなくなる」って

そう話していましたね。

デパス飲んでもだめだったんですか。

薬と一緒にお酒飲むから変なことになるんですよ。

貴方は、私達の上司だったのに

無鉄砲なことまでして、私達のために動いてくれたけれど

自分のことはダメダメな人でした。

最後は、コップ半分も飲んでいないのに酔ってしまっていたとか。

ボトル1本空けて笑っていた人だったのに。

 

山ほどの武勇伝だけ残して逝ってしまったんですね。

今度は、私が寂しい思いをする番なのかな・・・。

 

初めて、人前であれだけの涙を流しました。

泣いていた訳ではないけれど、涙が止まらなかった。

馬鹿ですね、一言声をかけていれば・・・

あの日、ちょっと寄って話をしていたら・・・

 

今日は、もう蜉蝣はいませんでした。

もうすぐお盆だけど・・・

 

いつまでもうしろ向いていてもしょうが無いので

また、前を向いて歩き出したいと思います。

佐世保のMさんのご実家へ、いつか行ってみようと思うんです。

まだちょっと先の事になると思うけれど。

 

出来ん坊主の迷惑かけてばかりの部下で。申し訳ありませんでした。

Mさん、雲の上から見守っていて下さい。

私も寂しいのは嫌いです。

今日になりました・・・

3日間ドタバタでした。

それにかまけて、寂しさや悲しさを紛らせていたけど

とうとう今日になりました。

伊達男な明るいMさんでしたから

涙を流さずに、見送りたいと思います。

思えば....

学生の頃から、ちょうど刷り込みみたいに後ろついていってました。

何を言っても

「判った、任せておけ」

「なんとかしてやるから心配するな」

って、そんな人だった。

一番、無理難題.......言ったのは俺だったのかな。

どんな目が出ても、Mさんのやったことは良い方向へ向いたっけな。

他人に足を引っ張られて降格になったときも、しばらくして

次長に昇格したっけね。

オペ室も、大変だったけど本当に楽しかったです。

 

 

 

 

ホントは「柗」って字なんだね。

 

 

 

 

 

みんな来てたよ

Mさん、みんな来てたよ。

いよいよ明日になっちゃったけど。

オールドも用意してあったよ。

さすがにビンごとは入れられないんだろうけど。

化粧して、白い顔になってたね。

棺に、ソフトの写真入れようと思ったんだけど

みんな写ってる写真だから、やっぱり止すことにしたよ。

向こうで、麻雀メンバーが待ってるだろうから

寂しくはないだろ。

明日も行くから、ちゃんと昇っていくまでみんなで見てるから

 

今日も、家の裏見てみたけど、蜉蝣はもういなかったよ。

写真探しててね、ちょうど坊主達が大きくなる間

一番良い時期に、Mさんのそばで頑張れたんだなと思ったよ。

ソフト、楽しかったね。

俺は下手くそだったけれど、みんなが上手だったから

チームは強かったね。

オペ室も、しんどかったけど良い経験出来たし楽しかったよ。

ありがとう。

親父の孫は、通夜の間良い子していたよ。

きっと、いい男になるんじゃないかな。

 

それから・・・若い頃の写真過ぎたかな。

遺影が格好良すぎるよ。

今の俺たちより若い写真なんだものね。

一番良かった頃だろうね。これからって感じで・・・。

 

来月から、検針行ってももういないんだね。

なんで、そんな早まったことしたんだろ。

まだ、10年くらいはいられたと思うんだよ。

そこまで行けば、会社閉じるつもりだから

そしたら、長崎へ・・・佐世保へ一緒に行きたかったな。

 

リタイヤしたら嫁さんと二人で九州へ行ってみるよ。

 

でも、いよいよ明日なんだね。