ume_boshiの          ブログ

人生の半ば、ふとした迷いから転職をしてしまった元看護師のぼやきです。

北陸に雪が来てしまいました(>_<)

こちらでは、1cm程度の薄い積雪ですが、被災した現地では

15cmほど積もってしまったようです。

なにより気温が低下しています。

これは大変なことだと感じています。

単に気温が低下するのと、周囲に雪が積もっている場合との違いは

雪国に住む者であれば、理解できると思いますが

本当に寒く冷えてくるのです。視覚的、精神的感覚なのかも知れませんが

感じる寒さが強くなるのです。乾いた寒さと白く湿った寒さとでも言うのでしょうか。

よく遊びに行かせてもらっていた石川県での災害であり、同じ北陸での出来事であり

もし、ここで起きていたら自分はとても耐えられない・・・

そう思うと、現地の皆様の心持ちを思うことも辛い状況です。

言い訳になりますが、年齢的・身体的問題もあり、私自身がインフラの一部を担う

会社を運営していることもあり、動くことは出来ない状況ですし

被災地の自治体も、個人でのボランティアはまだ受け入れていない状態らしいです。

少額ながら、募金に参加する程度がせめてもの私の気持ちです。

昨年秋に、金沢~能登に行かせてもらったばかりで、綺麗な街並みや

千里浜の風景が浮かびます。

浜茶屋でハマグリを振る舞って下さった叔母ちゃんは、ご無事でしょうか。

お正月の一番心安らかで穏やかであるはずの時間・空間で

こんな試練に見舞われるというのは、なんなんだろうかと感じてしまいます。

ただただ、暖かい部屋の中でPCに向かって、休みの日を過ごしていられることに

感謝すると共に、そうしていて良いのかという疑問と・・・複雑です。

 

仕事の関連になりますが、能登のガス屋さん達はどうしてらっしゃるのでしょうか。

休む間もなく走り回っているのか、もう、為す術も無く立ち尽くすしか無いのか。

察するに余りあるというか・・・

 

 

話はさらに大きく変わりますが

政治家の金の問題が取り沙汰されていますね。

このように国民が苦しんでいるときに、私腹を肥やしているような馬鹿者は

極刑でも良いと思うのです。

私中国は余り好きでは無いのですが、あそこの国は不正を行った公務員は

極刑を課されるみたいですね。そういう所だけは認めたいです。

金くらい・・・という問題では無いです。

世の中、金のせいで命を失う人間がいるのですから・・・

せめて、不正を行う様な人間達の金は、全て奪って

被災地へ送って下さいな。

政治家がぬるぬるしているような国になって欲しくは無い。

 

とにかく、被災地の皆さんをなんとかこの寒さから救ってあげて欲しい。

これから、2月に向けて給湯器も凍り付くような厳しい寒さが、北陸を訪れます。

それまでに、集団避難などの手段を執らなければ悲惨なことになりそうに感じます。

震災関連死が増えるようなことだけは避けて欲しい。m(__)m

 

 

 

 

 

新年に起きた航空機事故で、ペットの扱われ方が取り沙汰されていますが・・・

まず、私はチワワを1匹飼っております。(この子は2代目です)

航空機は、ペットを貨物扱いにされて同乗できないようなので

私は、旅行の時に飛行機は利用しないと思います。

最近は、新幹線でも手荷物扱いで膝の上にケージなどに入れていれば(小型犬かな)

同乗可能なようですし、出来るだけ一番端の席にしてもらえば

うちの場合は吠えないですから、大丈夫かなと(^^ゞ

リタイヤ後にぼんやりと旅行計画していますが、フェリーもペットと同泊できる部屋が

予約できるようになったみたいですね。

大阪から鹿児島辺りまでの予定ですけど、その辺りのフェリーの話ですが。

ゆかいリゾートなどですが、同室に泊まれる宿泊施設も増えてきているみたいです。

私の場合、安いと嬉しいですが、とても高いところも多いですね。(>_<)

 

そんな流れの中で、そのうちペットを連れて乗れる乗り物も増えてくるのでは無いのかなと思います。

盲導犬とか、必要な場合も多いですから。

大きさとか、吠えたらアカンとか、色々あるとは思いますけど

そうなると飯名という思いも込めて期待しております。

・・・って、そんなお話でした。

 

 

衝撃の年明けでした・・・

元旦を迎えてゆるゆるしていたら、16時過ぎに

能登半島地震が発生しました。

福井は震度5強程度で済みましたが、石川県能登地方が震源

震度7を記録して、能登半島の先端部の町はほぼ壊滅状態で

津波にも襲われたようでした。

被災の程度は6日になっても広がり続けており、能登半島の地形的問題もあり

支援の手が届きにくい状態になっているようで、警察・消防・自衛隊等が

支援に向かっているようですが、阪神・淡路や東日本の時とまた違って

なかなか困難な状況のようです。

ガス関係の会社の方が元旦から休日返上で向かっていたそうでしたが

古い住宅も多く火災も発生していて、かなりの被害程度らしく

復旧していけるかどうかは、なかなか予測できるかどうか判らないと話していました。

前年から、大きな地震の見舞われてようやく復旧したばかりのところで

再度この地震の見舞われていますから、立ち直れるかどうか・・・

地元愛もあるとは思いますが、別の地域で復興を目指した方が良いような

そんな思いもしております。

千里浜で有名な能登さとやま街道も、ズタズタになっている様子で

また千里浜を走れる日が来るのかどうか・・・

福井も、北の方のあわら市などは被害が出ているようで、石川以北の

富山県新潟県なども大きな被害を被っているようです。

結構揺れましたけど、福井市は、まだなんともなかった方なのだなと

胸をなで下ろしています。

来週に向け、気温も低下して降雪の予報も出ています。

雪国ですから、これから先の生活が不安だろうなと思います。

微々たるものですが、私も遅ればせながら募金をさせていただきました。

こちらで、もしも、あれだけの震災に見舞われていたら・・・

もう、仕事を続けていく気力は失せてしまっていたかと思います。

現地の皆様、大変かとは思いますが、春を目指して踏ん張っていただきたく願います。

 

人生は重き荷を負うて遠き道を行くが如しと、かの福沢諭吉さんは言われましたが

余りに過酷な年の初めの出来事に、これからに不安を覚えます。

なんとか、無事会社を最後までやり遂げられますように・・・

 

 

独り言ですが

人生って、ホントに運なんでしょうかね。

なんだか、毎日が大変になっていないか

2月に母親を見送り、あれやこれやがあって

ようやく年の瀬を迎えようとしているんだが

スムーズに毎日が流れていくはずが、何だがドタバタと

大変になっていく気がして・・・実際そうなんだけど。

父親のADL面がうまく出来ていないと聞いて、介護サービスを依頼して

上手く回り始めていたんだが、父親が自分で自転車に乗って近所の店に

買い物に行った際事故に遭い、眼窩骨折etcの怪我を負った。

相手の保険屋が、かなりの馬鹿者なのか、怪我をしたがわのこちらに

喧嘩を売るような電話をしてきたせいで、ひどく気分が悪い。

普通は、お怪我の具合はいかがでしょうか・・・位の挨拶はするモノだろう。

なんだか、自転車対自動車の事故なのに、まるで自転車が悪いような

そんな物言いをされたのが腹立たしい。

そりゃ、父親もフラフラした自転車の乗り方してたのかも知れないが

それでも、そんな対応は無いと思うんだが。

別に荒立てようなんて思ってはいないんだから、

近所のことでもあり、穏やかにことを処理していただきたいモノだと願うばかり。

イザコザは極力ご勘弁願いたいのですよ。

病院を退職後も、センターの皆さんのお陰で、ここまでなんとかかんとか

やってこれた自分。

なんとしてでも、けじめのつけられる後数年をやりきって

ちゃんと、一応の区切りまでやり遂げられたんだと、胸を張っていたい気がする。

看護師を途中でリタイヤして、継いだ会社までケジメをつけられなかったというのでは

自分として、なんとも情けないことになってしまうから。

 

それにしても、その残り数年が、まるで重い空気の中を進むように

あれやことやと事が多すぎて、難儀な事この上ない気がするのだけれど

この年になると、そんなモノなんだろうか。

父親の世話をしていくというのが、こんなに大変とは思いも寄らなかったのだけれど

我が父親が、特別我が侭なせいなのだろうと思いつつ

母親は、こんな親父と添い遂げて幸せだったのだろうかと

長男として、もう少し母親に自由に生きさせてあげたかった気がする。

今更ながらではあるんだけれど・・・

なんにせよ、今は、嫁さんの背中に手を合わせながら踏ん張るしか無い

そんな自分ではあるのだけれど。

自分は、子供たちの重荷には鳴りたくは無いのだが・・・

 

 

古いビデオテープを見て・・・

結婚してからのビデオテープを、業者さんに依頼してDVDに変換してもらって

11月末に届いたんだが、それをデータ化してPCに取り込むか

メモリに保存するかしようと思って、今それをやっている。

なんだかんだ下手くそながら、データ化は出来そうである。

編集なんて、とてもとても手を出せそうに無いが

せめて、そのままでも、見ることが出来れば良いなと思う。

VHSやmini-DV等だと、今では再生する機械が無いから。

でも、取り込みながら色んなシーンを垣間見て、自分が

いかに子育てに参加できていなかったのかを感じさせられることになった。

子供たちの運動会や餅つき大会など、殆ど知らないシーンばかりで

嫁さん、3人も一人で抱えて大変だったんだろうなと今更ながらに思う。

旅行や遊びに行った時の映像もあるのだけれど、学校の入学・卒業、

様々な発表会や遠足など、殆ど知らないシーンばかりで

今更ながらに、父親として子供たちに関わってやれていなかったことに

反省させられるばかりだが、人生で、一番大切なことが出来て

いなかったのではないかと悔やまれるばかり。

 

本当に今更で、「遅すぎるわ」と怒られても仕方ない状態で

自身が子供たちの方へ向いていなかったのかも知れないと

そんなことも思う。

自分が、幼い頃父親を知らないで育ったような状態だったので

父親ってそんなものだと思っていたが、子供たちにしてみれば

特に坊主たち二人には、寂しい思いをさせてしまっていたんだろうか。

キャッチボールすら、した記憶が殆ど無いのだから・・・

ダメ親父なんだろう。

もっと子供たちと、膝をついて話を聞いてやれていたはずなんだが

自分自身が、足下にしか目が向いていなかったのだろう。

我が子第一で生きているべきであったのに、そうで無かったのかも知れない。

ただ、嫁さんが一生懸命やってくれたお陰で、なんとか形を保てていた

そんな私の家庭だったのかも知れない。

 

その子供たちも、もういい年になって、次男は家庭を持って

長女は、もう直に嫁に行ってしまうのだろう。

長男は、まだ、結婚しそうに無いが・・・

色々なことについて、自分が上手く関わって来なかったことで

子供たちを元気づけてやったり、自信を持たせるように関わって

やれなかったんだろうと思う。

今更・・・本当に今更なんだけれども。

ごめんな、こんな父ちゃんで。

でも、これでも、一生懸命やったつもりなんだよ。

足りないところばかりだったと思うけど。

 

 

力がなくなったのか、単に下手なのか、否、最初から無理なのか。

昨日、ダイナ(2t)のタイヤ交換をした。

冬に備えて、スタッドレスに。

Kさんの体調が思わしくないため、自分でやることになった。

倍力レンチがあるため緩めるのは、そんなに大事でも無かったのだけれど

6輪×5個で30個のでかいナットの付け外しは、思った以上に大変だった。

もう無理・・・大袈裟でなく死んでまう。

18vのインパクトレンチがあったので、付け外しは少し楽だったけど。

(最後の締め付けは、手締めだけどきっちり締めたし)

もう、ヘロヘロでしたよ。

タイヤの片付けまで、なんとか済ませたけど

来年の冬からは、車検をしてもらっている工場に依頼することにする。

これだけしんどいのなら、業者さんお願いします。

春のタイヤ交換は車検の時にやってもらうから

あとは、冬前の2回ほどのことだし。

 

たとえプラドの大きいタイヤでも、ここまでしんどくは無いよ。

やっぱりトラックのタイヤは、馬鹿に出来ないわ。

情けないけど、限界を知った出来事でした。

年なのかなぁ。(>_<)

淡々と・・・ただ淡々と時が流れていく。

ここまでなんとか走ってきた気がする。

先のことも大して考えず、ただ走ってた・・・

 

次男が結婚して独立し、娘の彼氏が挨拶に来て

いずれ嫁に行くのだろう・・・

 

長男は、今、家を出て一人暮らしをしている。

 

家には私たち夫婦と、父の三人がいる。

 

看護師をしていた自分だったが、父のガス会社を継いで

ここまでなんとかかんとかやってきた。

この時代、LPガス業界を取り巻く状況は厳しい。

しかし、あと3年ほどの間は会社を続けていくつもりである。

父に会社を閉じるところを見せたくは無い思い。

父がはじめた会社だから、閉じるところは見たくは無いだろうからね。

本来ならば、既に倒産していたかも知れない。

 

自分たちが年金がもらえるようになるためには、65才まで

なんとか仕事続けないと行けないだろうし。

あと、子供達の結婚式に父親が「無職」というのは寂しいかなと思うし(^^ゞ

娘はなんとかなりそうだが、長男は結婚してくれるのやら・・・・(>_<)

 

そして、こんな状況の中、淡々と淡々と日々が過ぎていく。

三年後に嫁さんとあちこち旅が出来たらと、そんなことだけを楽しみにして

毎日過ごしているような状況だ。

若い頃は、子供達を育てていくということを目標にして

楽しい家庭を作って行けたらと…何処かで思いながら生きてこれたのだろう。

 

今年の冬、母を見送った。

父も認知症で癌を患い、そんなに長くは無いと思われる。

自分が生きている意義というか目的はなんなんだろう。

ただ、生きていくだけなのか。

今の私には判らない、父を見送り、会社を閉じたあと

わたしはどういきていけばよいのだろうか。

ただ、ただ、こんな毎日を繰り返していくことになるのだろうか。

私には判らない。

 

がむしゃらに突っ走っていたようなあの頃がなつかしい。

ただただ、懐かしい。

 

 

子供達が巣立ち、