ume_boshiの          ブログ

人生の半ば、ふとした迷いから転職をしてしまった元看護師のぼやきです。

遠い昔の想い出‥‥Pioneer project8

当時いくらくらいしたのだろうか。

18万円とかだったのかな…よく買ってもらえたなと思う。

高校に合格できたらという約束で、馬の前にぶら下げたニンジンみたいなものか‥

大した高校で見なかったんだろうが、大学生のバイト家庭教師迄つけてもらって

週2回、強制的に勉強させられた形だったかな。

ホントに馬鹿だったから…

でも数学の点数は飛躍的に上がった記憶がある。

目標にしていた高校より、数段上を狙える点だった。

国立の某学校を受けてみないかと担任から勧められたが

かなり遠距離でもあり、自身が無かった自分は受けることはしなかった。

 

自分にとって、大したことではなかったように思っていたのだけれど

今振り返ってみると、当時の我が家にしては、もの凄い出費だったんだろうなと思う。

2万円×9か月で18万円

そして、ステレオのお金は、定価ではないにしろかなり掛かったのだろう。

さして裕福でもなかった我が家にとって、大変なお金だったのではないかと思う。

特に家族でどこかへ遊びに言った記憶も無く、両親に色々と

不平を感じていたのだけれど、思えばとんでもない勘違いをしていた。

両親は、自分たちの娯楽など殆どない状態で、姉と私の将来のために

なけなしの金を出してくれていたのだろう。

思えば必死であり一生懸命というものだったのだ。

親の心子知らずというが、正にそうなのだろう。

先月、母が逝ってしまった。

まだ幸いなことに、父は癌を患ってはいるがまだ何とか元気である。

少しでも恩返しをと思うが、もう、父はどこへも行きたくはない様である。

看護師になるために、自分で定時制看護学校に通って自力で頑張ったつもりでいたが

その道を見つけてくれたのも、両親が必死に探し回ってくれたお陰である。

当時、男が看護師になるなんて考えもしない世情だったから

安穏としていた自分は、高校卒業を間近にしても何も考えてはいない大馬鹿だった。

以来、色々あって看護師資格を取得したものの、40歳前にして父の会社を継いで

幼い頃一緒にいられなかった、父との関係を少しでも埋めたかったのかもしれないが

今頃そんなことに気づく自分では、埋められるはずもなく。

親の心子知らずのままで、もう父とそんなに深い話し合いができる状況では

無いように感じられる。

今更ながら、少しでも、長生きしてもらえればと思うが‥‥

自分の方が先に逝かないように気をつけなければいけないような気もしているが。

色々足りなすぎる自分だったから、どれほど埋め合わせが出来るのか判らないけれど

少しでも、埋め合わせをしてから、逝くことが出来たらと思うけれど

どこまでこの身体が動いてくれるのか判らないから

大事に大事に使っていかないとなんです。

そうそう、そんなに立派な健康体ではないはずなのに

大人になってから、過信しすぎていたんだろうね。

危うく、何もできないままに逝ってしまうところだったから

少しだけ、ほんの少しだけでも気づくことが出来た気がするので

良かったなと思う今日この頃。

親のために、○○をしてあげたなんて、とてもとても、おこがましい話なんだね。

どれだけ何をしても、返しきれるような恩ではないのだし…

 

ps トップに貼った写真。

  あのステレオ。父に買ってもらった思い出の品物なのですが

  結婚・家の建て替え等を経て、いつの間にか無くなっていました。

  もう一度手に入れてみたくて探したのですが、検索しても見当たりませんでした。

  そんなもの買ったら、嫁さんに怒られるだろうけど…。

  懐かしい思い出なんです。